戦時の筆禍事件である「矢内原事件」でよく知られており、また東大の二代目総長を務めた矢内原忠雄の評伝である。
矢内原は内村鑑三の影響を受けた無教会主義のキリスト教信者で、自らを予言者として伝道活動を続けた。日本には天皇を神とする宗教ナショナリズムがあったが、矢内原はあくまでキリスト教の神を普遍者とし、天皇はあくまで「民族精神の理想型」として臣民を従えるとする宗教ナショナリズムを展開する。戦後、平和国家の思想が生まれると、矢内原はそこに「神の国」としての独特の意味付けを与える。また、人間は神と向き合うことで初めて主体的で自律的な存在となるとした。
矢内原の生き方は信仰に根差したものなので、信仰を持たない私としては容易に感情移入できるものではなかった。だが、信仰に根差したうえできちんと人間や社会に対する自らの理論を組み立てて論説していく様は、単なる宗教者を超える知性を感じさせる。本書では矢内原の学者としての側面には大きく触れていないが、学殖があってこその強固で理論的な布教活動であると思われる。