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社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

権限=他律決定

法哲学

 自分のことは自分で決めるし、自分についてはどんな愚かなことをやっても国家は介入しない。自分のことは自分が絶対的に排他的に支配していて、自分のことは自分で処分できる。イェーリングは『権利のための闘争』において、権利を主張することは自己の倫理的人格を維持するための自己に対する義務であると同時に、法を維持するための社会に対する義務でもある、と論じているが、現行制度は愚行権を認めている。権利を主張しなくても、たとえそれが愚かなことであっても、現行制度はそれを許容している。だが、愚行権とは、飽くまで自分についてしか成立しないものであり、他人についての愚行権は成立しない。

 自律決定と他律決定の大きな違いは、そこに愚行権が成立するか否かである。他の観点から見れば、注意義務が発生するか否かである。自律決定においては愚行権が成立し、他律決定においては愚行権が成立しない。自律決定においては自己に対する注意義務が発生しないのに対して、他律決定においては他者への注意義務が発生する。これは結局、現行法制度というものが、自己に対する絶対的な支配・処分権を認めつつ、他者に対しては相対的な支配・処分権しか認めていないことに基づく。これは、奴隷的拘束の絶対禁止にみられるように、他者を支配するということについて法が非常にセンシティブになっていることの表れである。歴史的に、他者支配は多くの人権侵害と社会的不正義を生んできた。それを防ぐためには、他者を支配することを禁じなければならない。

 さて、自律決定の権利は特に権限とは呼ばれない。だが、他律決定の権利は権限と呼ばれ、その権限を持つべき適任者が選任され、その者は注意義務を負い、他人のために働いた分だけ報酬を受ける。遺言執行者、代理人、取締役など、他人の財産や法的地位を他律決定できる権限をもつ者を法は許容しているが、その権限とは、あくまで他者を相対的に決定する権限に過ぎず、他者を絶対的に支配し決定することを法は禁じている。その現れが注意義務である。自己と他者との超えられない非対称性は、自己を支配・処分できても他者を支配・処分はできないという根本的な法思想に基づく。

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