社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』(岩波新書)

 

トランプのアメリカに住む (岩波新書)
 

  2017年から1年間著者がハーバード大学で教鞭をとった際にアメリカの現状を眺めてしたためた随想。

 トランプの大統領当選にはロシアなどによるフェイクニュースが大きな影響力を持った。SNSなどのメディアはフィルターバブルを起こし、ユーザーの好む情報ばかりにユーザーを閉じ込めてしまい、真実を覆い隠してしまう。

 アメリカでは至る所に星条旗が飾られている。それは9.11以降顕著である。国歌である「星条旗」は好戦的ナショナリズムを体現しており、国歌に準ずる「アメリカ」は自由・平等のアメリカ的理念を体現している。

 ハーバード大学と東大の違いは、ハーバードでは一つ一つの講義に多くの時間をかけ、単位数を少なくし、TA制度を充実させ、シラバスを詳細に書く、という点であり、高等教育の在り方として見習うべきものがある。

 ハリウッドの大物プロデューサー、ワインスタインのセクハラが公にされると、性的な振る舞いに問題がある有名な男性を多数の者が糾弾するという「ワインスタイン効果」が広まった。また、銃乱射もアメリカでは大きな問題となっている。性と銃は他者との関係の取り結び方の問題であり、アメリカの根本問題である。

 アメリカの白人の中産階級は没落している。その層が生活と誇りを取り戻すためトランプを支持した。また、米朝首脳会談はショーみたいなもので、トランプの自画自賛にかかわらずアメリカにとっては不利益なものだった。

 本書は、現代アメリカ入門としてもよいくらいの本だと思う。それぞれの論点についてコンパクトにまとめられていて、非常に読みやすい文体で書かれているので、現代アメリカがどのように成り立っていてどんな問題を抱えているかがサクッとわかる。しかも、このアメリカ論は著者が実際にアメリカに住んで肌で感じた議論なのである。現代アメリカを知るうえでちょうどいいのではないか。

 

齋藤直子『結婚差別の社会学』(勁草書房)

 

結婚差別の社会学

結婚差別の社会学

 

  同和問題に基づく結婚に関する差別的取り扱い(破談など)についての質的調査。

 齋藤は、多くの人たちにインタビューしながら、結婚差別がどのような構造をなしているか分析している。結婚差別は典型的に、うちあけ→親の反対→カップルによる親の説得→親による条件付与、という構造を取る。もちろん、事例によってそのバリエーションは様々である。それぞれの段階について、齋藤は詳細な事例を引用して説得的な論の展開を進めていく。

 本書は現代社会に対する問題提起の書である。もちろん、結婚差別なんて全く考えていない人たちも多いが、依然部落出身であることによって差別する人はいる。この現代社会に紛れ込む前近代性という問題は興味深い。さらに、部落差別に直面したときのカップルのとる対応というのも面白い。ここにはコミュニケーションのドラマがある。大変楽しめる本であった。

牧野智和『自己啓発の時代』(勁草書房)

 

自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究

自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究

 

 現代においてブームになっている自己啓発についての社会学的研究。

 人々の自己へのまなざしは、社会に流通する自己をめぐる知識・技法によって構築され、その「自己と自己との関係」を操作する技術を「自己のテクノロジー」と呼ぶ。

 自己啓発メディアは、「自己と自己との関係」の調整自体を積極的な価値があり目指すべき対象として自己目的化するという形で自己をめぐる意味の網の目=文化を活性化・再生産し続けてきた。

 本書は、就活本や女性誌男性誌自己啓発書の具体例として挙げながら、そこにおける自己のテクノロジーの態様を丹念に追い、結論を出している。データに基づいた正統な社会学的方法であり、結論にも納得できる。自己啓発は、決して個人の領域に閉ざされたものではなく、社会的に規定され、社会を再生産していくものであるということ。興味深かった。 

J.B.ビュアリ『思想の自由の歴史』(岩波新書)

 

思想の自由の歴史 (岩波新書)

思想の自由の歴史 (岩波新書)

 

  主に宗教的思想の自由についての歴史について詳説した本。

 古代ギリシア・ローマの時代には、自由な理性による活発な議論がなされ学問が進歩し、思想の自由が抑圧されることはまれであった。だがキリスト教が覇権を握るようになると、キリスト教一神教としての原理主義が異端や異教を排斥するようになった。中世時代には思想の自由は強度に抑圧され、人々は自由な思想活動を行えなかった。

 ルネサンスヒューマニズム宗教改革による権威の動揺は、中世的幽閉からの解放へと向かう準備となった。ロックやヴォルテールらによる寛容論が著され、理論的に宗教的寛容が論じられるようになった。17世紀以降になると、地動説などの自然科学の発展や聖書の合理的解釈などによって、合理論によるキリスト教批判が活発になる。また、ヘーゲルの世界精神論やコントの実証主義など体系立った合理的世界観がキリスト教への強力な批判となった。

 思想の自由は、ミルが論じたように、議論を活発化させ諸学の発展を生むという功利的効果を持つ。その観点からも、キリスト教による思想への抑圧は社会的な利益を害するものであった。

 本書は、初めは迫害される側にあったキリスト教が逆に迫害する側に回ってからの思想の暗黒の歴史を書き綴っている。キリスト教はおおむね異端や異教に厳しく、原理主義的な立場を取り続けてきた。それが社会的な不利益を生んでいたことを糾弾する書物である。現代の思想・良心の自由がいかに過酷な戦いを経て獲得されたものかが良くわかる。

個人と組織との間の信頼関係

 個人と個人との間には信頼関係がある。個人が相手を信頼し、相手が個人を信頼する、そういう正の循環が回っているとき、お互いにとって利益がある関係となる。
 個人と組織との間でも同じように信頼関係を考えることができる。個人が組織を信頼するといった場合、それは自分への適正な人事上の処遇が行われること、問題があったとき組織的に適正に対処してくれること、などを信頼しているのである。逆に、組織が個人を信頼するといった場合、個人が組織に不利益をもたらさないこと、個人が組織に貢献してくれること、などを信頼しているのである。
 個人と組織との間でも、信頼の正の循環が回ることが望ましい。個人が組織を信頼し、組織に貢献し、組織の方でも個人を信頼し、個人を適正に処遇する。そうすることで個人と組織のお互いにとって利益が発生するのである。
 もちろん、個人と組織の間で信頼が破綻することもある。個人が人事上の不利益を被った、個人が問題に巻き込まれたとき組織の対応に問題があった。逆に、個人が組織に不利益を与えた、個人が組織に貢献してくれない。こうなると、今度は個人と組織の間で負の循環が回り始める。個人は組織を信頼しないからそれが行動や態度に出る。組織も個人を信頼しないから適正な処遇をしない。そうなるとお互いにとって不利益があるのみである。
 私は、この個人と組織との間の信頼関係によってブラック企業ホワイト企業を見分けることができると思う。ブラック企業では個人と組織がお互いに信頼できていない。それに対して、ホワイト企業では個人と組織の信頼の循環が回っていて、どんどん成果が上がっていく。
 我々労働者としては、とりあえず組織を信頼することから始めたい。それは人間関係と同じである。人間関係においても、まずは自分から相手を信頼することが良好な関係を築くカギである。同じように、労働者の側でもまずは組織を信頼するのである。それは組織への貢献という形で行動や態度に出る。それに対してホワイトな組織であれば正当な信頼を返してくれるのだ。まずはそこから始めよう。