社会科学読書ブログ

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 現代というものに今まで居場所を見つけることができなかった。高校のとき、私が埋没したのは戦前・戦後の文学世界だった。夏目漱石の世界や、彼をめぐる知的サロンのようなものに憧れを抱いていた。古い感性・古い言葉・古い人間、とにかく古い時代が好きだった。三島や太宰もまた、古かったから好きだったのかもしれない。古い学究精神で大学時代を過ごしたら、いろんな人に馬鹿にされた。私の時代はもはや大学は学問をする場所ではなくなっていた。東大ですらそうなのだ。いわんやほかの大学をや。私の目の前にあるのは「腐り切った現代」である。亡き友人の母親から心のこもった手紙が来て、とても嬉しかった。古い人間はいいな、と思った。だが、「腐り切った現代」などと断定せざるを得ないことに言い知れない悲しみを感じる。なぜ、私はこうも時代や社会とうまくやっていけないのだ? なぜ、何もかもと破綻するのだ? かつては、破綻する前に破壊してやろうと、いろいろ暴れたものだが、もはやその段階は終わった。いかに破綻せずにやっていくか、そういう努力が足りないのか。だがそれこそ悪しき協調ではないか? 難しい。