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鈴木大拙『禅と日本文化』(岩波新書)

禅と日本文化 (岩波新書)

禅と日本文化 (岩波新書)

 禅は理論と言語解釈を超えるものであり、それよりも実体験を重視する。禅は言葉や体系を志向するのではなく、実体そのものを高く評価する。そして、観察や実験を排し、直覚的な理解を重視する。

 日本の芸術・文化に見られる非均衡性・非対称性・貧乏性・単純性・わび・さび・孤絶性は、すべて「多即一、一即多」という禅の真理に基づくものであり、日本文化に与えている禅の影響は強い。

 禅は武士道精神ととても合致した。なぜなら、禅はひとたびその進路を決定した以上振り返らぬことを教え、生と死とを無差別的に取り扱うからである。禅は意志の宗教であり、それゆえ、命を懸けて強い意志を貫徹し剣の道に励む武士層に受け入れられやすかった。さらに、武士たちのわき目もふらない戦闘精神は、禅の修行の単純・直裁・自恃・克己的であることと相性が良かった。剣道の極意は死を恐れぬことであり、そのような境地に達するのに禅は適している。

 禅には自己の哲学などない。ただ直覚的経験に焦点を置くので、その知的内容は何でもよかった。それゆえ、禅と儒教との相互補完が行われた。禅はその実践性を儒教から得、儒教は禅の教えを通してインド的な形而上学的思索を吸収した。それだけではなく、禅的経験は、道教や神道・西洋哲学によってすら説明することができる。

 禅と茶道にも密接な関わりがあり、茶道の単純さと無差別的精神は禅に由来する。貧困・単純化・孤絶の中に美的指導原理を見出すことが茶の湯の精神である。また、禅と俳句にも密接な関連がある。詩人や芸術家が創造的であるとき、彼らは悟りの境地、すなわち無意識の意識の境地にあるのであり、さらには宇宙的無意識とも接している。俳句の簡素な形態には、悟りと直観が込められているのである。

 さて、本書は、「理論的体系をもたない」とされる禅の理論書であり、その意味で大変難しい試みをしていることが分かる。結局本書を読んでも禅を修得したことにはならないわけであり、本書をよすがにして自ら修行を積み、体験的実感的直観的に悟りを開かねば禅を自分のものとすることはできない。ただ、一応創作などしている身としては、創作の時の忘我の瞬間など、あれは禅に通じていたのか、などと気づかされる点もあり、ひょっとしたら私もそれなりの「宇宙的無意識」に接していたのかもしれない。その直観を大事に禅と更に向き合えていけたらと思う。