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今村仁司『近代の労働観』(岩波新書)

 

近代の労働観 (岩波新書)

近代の労働観 (岩波新書)

 

  本書で今村は、近代の、労働こそが人間の本質であり人間を形成するのだ、という労働観を、古代ギリシアや未開社会と比較しつつ批判的に検証し、労働の喜びは他者からの承認によって生じるという立場をとる。そして、他者からの承認を得る欲望を単なるエゴイズムで終わらせず公的な空間に開いていくことを提言する。

 古代ギリシアでは、メカニックな手仕事は奴隷のやる汚い行為であり、哲学的な思索こそが人間のやるべきことだと思われていた。作用原因と材料原因は、職人の労働とその材料であるが、形相原因や目的原因、つまり使用者の与える目的に向かうものに対して劣位におかれていたのである。

 アルカイックな社会の例として挙げられているマエンゲでは、労働は審美的成就や慎重な運びによって評価され、その評価は住民たちの討議でなされる。労働は余裕を持って遂行され、生活と美が一体となっており、インダストリー的労働は存在していない。

 それに対して、近代になると労働は貧困と不良に対抗する道徳的に好ましいものとされ、浮浪民などは救貧院に閉じ込められ強制労働を課されるようになった。社会を乱す人間の屑を社会的に受容可能とするために労働を強制したのである。そこには、プロテスタンティズムの現世内禁欲倫理が資本家の心性と結合し、さらには資本家が社会の支配的立場に立って行ったという歴史的事情が反映されている。そして、民衆の労働を管理する行政は労働には喜びが内在するというユートピア的理想を持つようになった。フランス革命以降、ますます労働は人間を創造するとか労働は人間の自然的権利であるとか、労働の地位は高まっていく。

 だが近代の労働観はそのまま受け入れることは困難である。なぜなら労働そのものは喜びというよりは苦痛であるからである。それより、人間は労働によって他者から承認されることを求めているし、他者の承認こそが労働の喜びの本質なのである。だが、それを専ら私的なエゴイズムの満足として求めるのではなく、公共空間のなかでの承認欲望として構成していく必要がある。出世競争のような虚栄心の満足ではなく、対等な個人間の人格の承認によってより良い満足が得られるのである。そのためには、労働時間を短くし、十分考える時間を確保して、公共的価値討議の中での公的人格として人々が生きていくことが望ましい。

 本書では近代の労働観を超克するものとして、公的な承認欲望を満たすような討議的労働空間の設定を提言している。だが、そもそも近代の労働観は、工業化社会を支える上で、人間の物質的繁栄を支える上でなくてはならなかったもののはずである。いわば、労働を民衆に強制させる社会的な要求があったのである。現代、労働がサービス化しているとはいえ、なお社会の物質的繁栄を維持するには大量の労働が必要であり、近代の労働観は維持されていくと思われる。ここから転換するには、労働の機械化によって人間の労働時間を減らすことぐらいしか思いつかない。生活の豊かさを維持しながら、かつ労働の真の喜びをつかむためには、人間の余裕ある時間を可能にする工業的な発明が必要だと思う。