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孤独の定義

 孤独とはなんであろうか。私は、孤独を「交易不全」として定義したい。人間は交易する存在であり、互いにモノや感情や情報をやり取りする存在である。ところで、人間が他人と接触する場合、たいていこの交易の成就を求めているのであるし、人間が交易する場合、そこには他人との接触がある。人間が孤独であるという場合、人間はこの交易のネットワークにうまく入り込めていないか、自ら贈与しても相手から返答が来ないかのいずれかであろう。

 人間は他人との接触を求める。それは人間が本能的に愛を求め、また愛を与える存在だからである。それだけではない。人間は他人と義務を負い合う。他人にプレゼントを与えれば、他人からプレゼントが与えられる。そのとき、人間はプレゼントを与えることで他人にプレゼントを返す義務を課し、その義務の履行を期待するのである。このギブ・アンドテイクが様々な他者と多方面で連鎖していくとき、人間は交易のネットワークにうまく組み込まれていると言える。そして、この交易のネットワークにうまく組み込まれているとき、人間は孤独ではないのである。

 交易は水平的にも行われるし、垂直的にも行われる。水平的な交易は、互いに対等な当事者同士の雑談や恋愛、友情や売買かもしれない。一方、垂直な交易とは、忠誠と恩賞、供犠と奇蹟など、社会的上下関係や、果ては宗教的な超越者との関係をも含む。一般に孤独が問題となるのは水平的な交易の不全であろうが、人は水平的に交易不全であっても垂直的な交易をうまくやっていくことで孤独を解消できる。友人関係がうまくいかなくても上司や年長者とうまくいく。あるいは信仰を得て神とのやり取りをする。垂直的な交易であっても人間は孤独を解消することができる。

 人間は交易の際に様々な駆け引きをしたり、相手より優越しようとしたりする。だが、そのような優越欲以前に、交易というものは人間の基本的な存在様態であり、それが滞りなく成就されることで人間は孤独を免れることができるのだ。