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社会的意識について

 社会的意識とは、簡単に言うと、自己だけが世界の中心ではなくなるという意識である。自己に関係する利害だけに興味を持っている状態から、直接自己に利害的に関係しなくても、世の中に起こっている出来事に世界の中心を置き、その立脚点に立って世の中を見ていく意識のことである。中心が自己からあらゆる地点へと分散化していく、脱中心化あるいは多中心化、それが社会的意識の生み出すものである。例えば自分が学生で、奨学金制度が充実していないから奨学金制度に興味を持つというのは社会的意識ではない。自分が学生であっても、中年のリストラ問題に興味を持ち、色んな情報を集めて調べてみる、というのが社会的意識である。

 ところで、この社会的意識というのは一種の飛躍のようにして獲得されるものである。だがその飛躍も一段階の単純なものではなく、徐々に過程を経てなされるものなのである。

 まず、大前提として社会に関する情報に多く触れる状態でなければならない。例えば毎日新聞を読むとか、大学で社会科学系の学部に入るとか、社会的な刺激のある環境に身を置かないとそもそも意識も何も生まれようがない。その上で、初めに社会の出来事を面白いと感じるようになる、という段階があると思う。だがそれはせいぜい好奇心程度に過ぎず、だからといって、社会について本を読んだりより深く考えたりはしない。

 だが、社会の問題が面白いと思っているうちに、自分が社会の中にいて、また自分が社会を形成しているのだということに気付くであろう。つまり、自己が社会に参画しているという意識である。ここには飛躍が伴うと思う。幼い人間にはいつまでもこの飛躍が来ない。社会へ開眼するだけの感受性がないのである。ここに至ってようやく社会的意識と呼べるだけの意識が個人の中に生まれる。そうすると、たとえ自分の利害に関係のない社会の出来事であっても、そこに自分は無関係ではありえない。社会の出来事は利害関係などという狭隘な関係性で自己と関わって来るのではなく、自己が参画する舞台というより洗練された関係性で自己と関わってくるのである。そうすると、もはや自己だけが世界の中心ではない。自己が参画している社会には他にも無数の中心があり、自己は無数の他の中心の立脚点から世の中を見ていかなければならない。

 その後、社会的意識はより深められていく。人は社会に関する本を読み、積極的に現在の情報を収集し、そこから刺激を受け様々なことを考えていく。ある人は友人と社会について語り合うかもしれないし、別の人は社会について何らかの文章を書くかもしれない。社会的意識は、社会からの刺激を受動的に受け取る段階から、より積極的に社会について学ぼうとする段階を経て、いよいよ社会について自らの意見を発信していく段階に移るのである。例えばこのコラムは、そういった意味で、社会的意識のより深められたものであると言えよう。さらに、社会的行動に移る人もいるが、多くのコストが伴うので、普通に暮らしている人には難しいであろう。