社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

諸富祥彦『フランクル』(講談社選書メチエ)

 

知の教科書 フランクル (講談社選書メチエ)

知の教科書 フランクル (講談社選書メチエ)

 

  アウシュヴィッツの生還者として『夜と霧』を書いたことで有名なフランクルだが、心理療法家としても多くの著作を残し、多くの影響力を持っていた。

 フランクルは人間を「苦悩する存在」(ホモ・パティエンス)ととらえ、苦悩を肯定的にとらえた。苦悩は業績であり、また能力であり、人間の成長をもたらす。とはいっても、決して人間はマゾヒズムに陥ってはならない。苦悩が自己目的的になってはならない。何かのため、誰かのために苦悩するのでなければならない。苦悩はそれを超越したものを志向する必要がある。他の存在者の「もとにある」「バイ―ザイン」という志向性が重要なのだ。

 人は実存的空虚に支配されることがある。そのとき人に必要なのは孤独になる勇気である。すると見えてくるのは、幸福の追求が空虚を生んでいるということである。幸福は追求するほどその人を幸福から遠ざけるという「幸福のパラドックス」を孕んでいる。

 人間が人生の意味は何かと問う前に、人生の方が人間に問いを発してきている。私たちがなすべきこと(意味・使命)は、「私を越えた向こう」から既に与えられていて、私たちは状況からの問いに対して責任をもって正しく応答する必要があるのだ。

 フランクルのロゴセラピーは、意味志向心理療法であり、内省の徹底よりも「自分にとって不可欠な、固有の意味を帯びた問題」に真摯に答えていき、自分の「天職」を見つけることを要求する。

 フランクルのロゴセラピーは、私たちに発想の転換を促すものだと思う。「気の持ちよう」についての一つの理論であり、人間を前向きに転換させる力のある理論である。自分を越えた「人生の問い」があらかじめ存在して、それに対して未来に向かって応答していくという姿勢は、なんとヒロイックかつストイックなものであろうか。虚しさなど感じている暇はない。人生は意味にあふれている。大事にしたい思想である。

辻清明『政治を考える指標』(岩波新書)

 

政治を考える指標 (1960年) (岩波新書)

政治を考える指標 (1960年) (岩波新書)

 

  この本が出版されたのは1960年。安保条約が片務的なものから双務的なものへと改定されようとしているときだった。著者は政治が「大きな曲がり角」に来ているとし、政治批評を繰り広げる。著者は、当時の政治の問題として、(1)国民の自発性を尊重していないこと、(2)多元的な国民の利益を抑えるために抽象的な国家観念を乱用していること、(3)野党の意義を認める統合の原理を理解しないこと、を挙げている。その問題意識のもと、議会政治や政党政治、官僚政治について問題点を指摘していく。

 本書は、政治について一定程度の教養のある者なら容易に読み飛ばせるものであり、とりたてて専門的な内容は含まれていない。政治をよく知らない一般の人に、政治というものがどういうものであって、当時の政治はどんな問題を含んでいるかを説いた書物であって、政治の素人には一定程度の啓蒙効果はあったと思われる。私としても、当時の知識人の問題意識のありかを知って面白かった。

松戸清裕『ソ連史』(ちくま新書)

 

ソ連史 (ちくま新書)

ソ連史 (ちくま新書)

 

  本書はロシア革命から連邦解体にいたるまでのソヴィエト連邦の通史である。主な登場人物は、スターリン、フルシチョフゴルバチョフスターリンの独裁による緊張した政治から、フルシチョフによる緊張緩和と経済発展、ゴルバチョフによるさらなる規制緩和と立て直し、という具合にソ連は動いていく。

 ソヴィエト連邦は巨大な歴史的実験だった。社会主義国家の成立と変遷、崩壊は、国家や社会について考える際の貴重な材料となるはずである。そこには経済の問題だけでなく、外交の問題や民族の問題や、権力や民主主義の問題など幅広い問題系が提示されている。社会科学の多くの問題を考える上での貴重なサンプルとして、ソ連は深く理解されるべきであろう。

私を構成する9枚

私に大きな影響を与えたCD9枚を紹介します。

 1.「COSMONAUT」BUMP OF CHICKEN

COSMONAUT

COSMONAUT

 

 バンプの癒しの力は凄いです。優しさで誰のことでも肯定する。歌詞は極めて抒情的かつ繊細で、とても味わい深く、メロディーは心に強く刻まれる印象的なものです。この文学性と音楽性が高度に複合したバンドが同世代にいることを誇りに思います。

 

2.「syrup16gsyrup16g 

syrup16g

syrup16g

 

  鬱ロックの代表格としてのシロップ。青春の苦悩を甘いメロディーに乗せてここまで代弁してくれるバンドは素晴らしい。彼らの曲に涙し中毒した人たちは数多いのではないでしょうか。そんな人たちもみんなオジサンオバサンになってシロップを卒業していくのです。青春はきれいなことばっかじゃなくて、カオスそのものです。青春の混沌から永久に抜け出せない奴らがこいつらです。

 

3.「創」ACIDMAN

創

 

  生命や光をモチーフとした前進的なバンドです。独自の世界観と宇宙を持っていて、その力強い美学には勇気をもらえます。こいつらは決してへこたれない。どこまでもかいくぐって突き進んでいくバンドだと思います。割と抒情的で美しいメロディーも多いです。

 

 

4.「The Classic Years」Elton John

僕の歌は君の歌+3

僕の歌は君の歌+3

 

 エルトンとの付き合いは古いです。僕は中学の時「Your Song」にひどく感動しました。その後、大学に入ってからいろんな曲を聴きました。名曲が多いですね。割とシンプルなことを歌っているけれど、普遍性のある曲ばかりです。 

 

5.「Live au Roucas」eclat

Live Au Roucas

Live Au Roucas

 

 プログレからはこの一枚。フランスのプログレで、理知的で体系的。飽きのこさせない構成で楽しませてくれます。プログレって割とクセの強いものが多い感じがしますが、このアルバムは誰にでも勧められる中立性があります。

 

6.「ignition」The Offspring

イグニション

イグニション

 

  パンクからはオフスプリングにご登場願いましょう。まずこいつらはパンクの王道を行っています。焦燥感に絶望、暴力、そういうものに突き動かされて突っ走ります。それよりも歌詞がまた深い。パンクならではの深まりがあってとても面白いです。きわめて哲学的です。

 

7.「Be Not Nobody」Vanessa Carlton

Be Not Nobody

Be Not Nobody

 

 ピアノ曲でオススメと言ったらこれ。とても瑞々しい曲がそろっています。ピアノの美質を最大限発揮させている楽曲。素晴らしいです。また、声もとてもきれいでうっとりします。その割にブラックな曲もカバーしてたり。まあ面白いですね。

 

 

8.「一番はじめの出来事」the cabs

一番はじめの出来事

一番はじめの出来事

 

 残響レコードからは今は亡きこのバンドを紹介。残響レコードは非常に先鋭的なポストロック系のレーベルですが、このバンドはその申し子ともいうべき、複雑さと前衛性を備えていました。

 

9.「parallel park」tacica

parallel park

parallel park

 

 もっと私を構成したアルバムはたくさんあるのですが、最後はこいつらで〆ましょう。動物を多く歌っていますが、そこに戯画化されているのはまさに人間の人生そのものです。人生にちゃんと肉薄している奴らとして紹介。

鷲田清一『顔の現象学』(講談社学術文庫)

 

顔の現象学 (講談社学術文庫)

顔の現象学 (講談社学術文庫)

 

 とらえどころのない「顔」という現象。本書はその顔という現象を、エッセイ風のタッチで軽やかに思考していく。顔というものは、人と人との間の共同的な時間現象として出現し、表情は絶えず移ろう。顔は「規則」と「逸脱」とのあわいを揺れ動くのだ。

 顔は素顔であるとき、その背後に一つの人称的な存在、人格の自己同一性と連続性を持った存在が透かし見られる。だが、顔は素顔となる前に、まずは共同性の様態として現れる。顔は誰かが思うがままに管理・統制しうるものではなく、顔において私はその主人ではなく、顔は私の意のままにならないものの典型である。

 また、顔は一つの政治であり、人は化粧によって自分を流通過程に送り込む。顔もまた社会の中で、価値や記号といったものの網の目の中に組み込まれる。そして、顔は鏡であり、互いを映し出すものとしてまずは現象する。だが、他者の顔をオブジェとして見ることはできない。 顔は見えないものであり、顔という現象は見るものと見られるものとの関係としても、意識とその対象との志向的な関係としてもとらえられない。わたしには内包しえない絶対的に他なるものとの関係、それが顔という現象である。

 鷲田は本書によって、主にレヴィナスに依拠しながら、顔という現象について、そのとらえ難さについてとらえ難いままに思考の彩を織りなしていく。顔に関して我々が常識的に持っている通念を華麗に回避しながら、それでも着地点をどこにも求めず、いわば現象を横切る過程として、思考の試行を華麗に行う。ここには体系はないし厳密な論理もない。体系や厳密な論理を回避するのが顔という現象なのだろう。