社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

長谷川三千子『神やぶれたまはず』(中公文庫)

 

  日本人にとって敗戦とは何であったかについて、文学作品などを手引きに論じている評論。

 敗戦は、日本人にとって何か絶対的な瞬間であり、それは天籟の音が鳴り響くような瞬間だった。日本人の多くは戦争によって死ぬ覚悟だったが、玉音放送は日本人に「生きよ」、と呼びかけた。それは、自らの死を天皇という神に与えることで、そこに一種の宗教を完結させようとする日本人をみな裏切る行為だったのだ。戦争は日本人が神に殉じることのできる唯一の時空間だった。敗戦において日本人は神に裏切られたのだった。

 本書は第二次世界大戦終結時における日本人の精神史であり、そこで一体どのようなドラマが起こったのかを精緻に解き明かしたテクストである。大変優れた論考なので、いろんな方にお薦めしたい。

乗松亨平『ロシアあるいは対立の亡霊』(講談社選書メチエ)

 

  ロシアはかつて「第二世界」であった。そのとき、ロシアのアイデンティティは「私はXにとって他者である」というものだった。冷戦後、ロシアが第二世界でなくなっても第二世界の亡霊は生き続け、ロシア思想では繰り返しこの主題が変奏された。

 例えば、「私は私にとって他者である」として「私」を内部分裂させるとか、「私」と「X」の「あいだ」を新たな対抗原理にするなど、対立の物語をさらに終わらせるために、対立を消尽すべく変奏し続ける思考の物語があった。

 本書はロシアのポストモダン思想について、その第二世界としての来歴をいつまでも引きずったものとして紹介している。ロシアは結局「~ではない」という消極的な自己規定にとらわれてしまった。冷戦の残滓はいまだにロシア思想に根強く残っていることが分かる。

伊藤邦武『プラグマティズム入門』(ちくま新書)

 

プラグマティズム入門 (ちくま新書)

プラグマティズム入門 (ちくま新書)

 

  プラグマティズムについて、その発生から現在に至るまでの流れを概説した入門書である。

 パースによれば、思想の意義とは、その思想がいかなる行為を生み出すのに適しているかである。真理とは道具であり、うまく物と物との間をつなぎ、我々の経験の一つの部分から他の部分へと順調に我々を運んで行ってくれるものである。

 このように、プラグマティズムとは思想や真理といった概念を明晰化する理論であり、人間の知的活動の持つべき探求方法についての理論である。プラグマティズムは、我々の探求が弾力的で可謬的であるという反デカルト主義を掲げ、また真理は有用な道具にすぎず複数ありうるという多元主義を掲げる。

 「プラグマティズム」という言葉は、「実践主義」のような意味で日常語のように使われたりするが、その哲学的な意味はこうだよ、と丁寧に解説してくれる本。現実的で柔軟で前進的なその思想に魅惑される人は多いと思う。特に日本の風土に何らかの違和感を感じている人は、割とプラグマティズムに惹かれると思う。

赤江達也『矢内原忠雄』(岩波新書)

 

矢内原忠雄――戦争と知識人の使命 (岩波新書)

矢内原忠雄――戦争と知識人の使命 (岩波新書)

 

  戦時の筆禍事件である「矢内原事件」でよく知られており、また東大の二代目総長を務めた矢内原忠雄の評伝である。

 矢内原は内村鑑三の影響を受けた無教会主義のキリスト教信者で、自らを予言者として伝道活動を続けた。日本には天皇を神とする宗教ナショナリズムがあったが、矢内原はあくまでキリスト教の神を普遍者とし、天皇はあくまで「民族精神の理想型」として臣民を従えるとする宗教ナショナリズムを展開する。戦後、平和国家の思想が生まれると、矢内原はそこに「神の国」としての独特の意味付けを与える。また、人間は神と向き合うことで初めて主体的で自律的な存在となるとした。

 矢内原の生き方は信仰に根差したものなので、信仰を持たない私としては容易に感情移入できるものではなかった。だが、信仰に根差したうえできちんと人間や社会に対する自らの理論を組み立てて論説していく様は、単なる宗教者を超える知性を感じさせる。本書では矢内原の学者としての側面には大きく触れていないが、学殖があってこその強固で理論的な布教活動であると思われる。

菅香子『共同体のかたち』(講談社選書メチエ)

 

共同体のかたち イメージと人々の存在をめぐって (講談社選書メチエ)

共同体のかたち イメージと人々の存在をめぐって (講談社選書メチエ)

 

  芸術作品のイメージは従来政治的なものとして機能してきた。皇帝の肖像やキリスト教の聖人像は、それを共有する人たちの政治的共同体を形成してきた。イメージは人々が経験を共有する軸として権力を帯びていたのである。

 だが、近代の政治権力が生を管理する「生政治」となったとき、人間の主体は崩壊し、主体を前提とした共同体が破壊され、現代において芸術は「エクスポジション」つまりさらされるものとなった。そこにおいて人々は露呈され、露呈されるところで「共同性」が成立するようになった。

 本書は芸術作品と共同性をめぐる考察であり、それが伝統的には政治的なものであったにもかかわらず、現代においては政治以前の生の共同性として顕われていることを論じたものである。そこには絶滅収容所で人間がただの生き物としてさらされた歴史的経験が重きをなしている。主張自体も面白いものだが、様々な美術批評の基本論点がちりばめられており、美術批評入門的な装いがある。美術批評を初めて読む人にもお薦めできる。