社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

菊地章太『エクスタシーの神学』(ちくま新書)

 

  キリスト教神秘主義で、特に神との合一によるエクスタシーに至った女性の列伝。

 エクスタシーとは「外に立つ」という意味で、自分を捨て去って自分の外にある途方もなく大きなものと合一する究極の達成である。それは究極の愛であり、女性の場合は神との結婚という形をとったりもする。

 このエクスタシーは受動的な経験で、愛するのは神の方である。また、神もまた「外に立つ」。人の知ることのできない神秘の世界から神自らが抜け出してこの世に下ってくる。それはイエスという肉体に神が受肉することや、教会のミサにおいてパンと葡萄酒の中に神が姿を現すことに端的に現れている。

 エクスタシーは精神的な抑鬱病の妄想としてジャネによって研究もされている。エクスタシーに至る患者はだいたい似たような経過をたどることが分かっている。

 本書は、フランシスコ・ザビエルやその他聖女として列されている人々のエクスタシーの経験について紹介している本である。キリスト教神秘主義が極まるのが、このように神秘的体験が実際に経験される地平においてであろう。エクスタシーは神の神秘を確証する役目を果たし、昔からその経験は伝えられてきた。現代では精神病の症例としても解釈されているが、神秘主義はそれすらも超えていきそうだ。

吉見俊哉『親米と反米』(岩波新書)

 

親米と反米―戦後日本の政治的無意識 (岩波新書)

親米と反米―戦後日本の政治的無意識 (岩波新書)

 

  文化的側面からの日米関係史。

 近代日本における親米と反米は、何層にも及ぶ屈折の中で形成された。

 幕末維新期、アメリカは自由の聖地として理想化され日本の知識人たちは親米的であった。

 二十世紀初頭、大正デモクラシーは再び自由の国としてのアメリカをクローズアップし、映画やジャズなどが流入する中で知識人のアメリカ批判と大衆のアメリカ好みが並立した。

 占領期から1950年代にかけて、親米と反米の対立は先鋭化した。占領期の大衆はアメリカの豊かな生活にあこがれる一方、基地という暴力に対抗するナショナリズムも形成された。

 1950年代以降、暴力としてのアメリカは後景化し、人間天皇や皇室ご一家への注目、技術者や主婦への注目により消費社会型アメリカニズム=ナショナリズムが確立する。

 70年代以降、アメリカはもはや他者ではなく、日本はアメリカを取り込んでいった。

 本書は親米と反米という観点から日本とアメリカの関係を文化史的に考察した新書としては重厚な本である。日本というものが占領期やベトナム戦争時の反米運動にもかかわらずアメリカと同一化し、もはや日本とアメリカを区別することは難しく、今となっては親米・反米とは違った次元に日米関係は至っているようだ。アメリカは現代日本を語るうえでは避けて通ることのできないものとなっている。

宮川努『生産性とは何か』(ちくま新書)

 

生産性とは何か (ちくま新書)

生産性とは何か (ちくま新書)

 

  生産性を向上させる方法について経済学的観点から論述した本。

 生産性とは、投入された全要素に対してどれだけ生産が行われたか、また付加価値を生み出しているかによってはかられる。製造業は比較的生産性が高いが、サービス業は生産性が低い。現代、産業構造が製造業からサービス業へと移行する中で生産性の低下が生じたが、IT革命によってアメリカを中心にサービス業の生産性も向上している。

 知識資産や社会資本整備、つまりノウハウや公共投資は、現代産業のインフラ整備となり、他産業へと利益が波及するスピルオーバー効果を持ち生産性が高い。また、非効率な企業が撤退したり新規起業が盛んであったりして産業の新陳代謝が活発だと生産性が上がる。古い考えにとらわれず考えを新しく改め、競争性・合理性・多様性を高めることが国の生産性を高める。

 本書は経済学者による主に日本の生産性の分析であり、日本の生産性の低さが注目されている昨今、いかにして生産性を高めたらよいか経済学的に処方箋を提示している本である。漠然と生産性と唱えるのではなく、生産性を厳密に定義したうえ科学的・説得的に議論がなされているので、とても参考になる。いろんな方にお薦めしたい。

 

妻帯するということ

 私は最近結婚したのだが、妻帯するということはかなり人生の効率を上げるように思う。
 まず、結婚に至るまでに相手と親密な関係にならなければいけないが、そこでは高度なコミュニケーションスキルが要求される。初めからコミュニケーションスキルを持っていなくても、愛する人とやり取りするには高度な心の読み合いや細やかな気遣いなど、かなり機微に富んだコミュニケーションが取れるように人はスキルアップしていく。
 また、恋愛関係というものは相手から自分の存在を肯定されるという関係であるが、これは自分の自信や自己肯定感を強める。人は些細なことで傷つかなくなるし、確固とした自律した自我が形成される。結局自己肯定には他者からの肯定が不可欠なわけであり、他者からの全面的な肯定である愛される経験というのは人間を非常に健康的にする。
 そして、妻帯して共に暮らすと、争いを少なくしていれば家庭が自分の居場所となる。仕事で多少ストレスがあったとしても妻と会話していればそのうち薄れてしまう。妻と雑談しているだけで負の感情など抱いている暇がなくなる。妻帯するということは人間の負の感情や攻撃性を減少させるのである。
 また、同居は経済的に効率が良い。それまで一人暮らししていた二人の人間が一緒の家で暮らすということは、生活費の節約になるし、お互いに助言し合うことで知恵を出し合い生活の効率化が期待できる。妻帯とは大きなシナジー効果を生み出すのであり、それによる互いの人間的成長は大きなものである。
 以上、妻帯するということはコミュニケーションスキルを高め、精神衛生を増進し、攻撃性など負のモメントを低減し、生活におけるシナジー効果を生み出す。お互いの人生の効率を上げることだと思う。

下田淳『ヨーロッパ文明の正体』(筑摩選書)

 

ヨーロッパ文明の正体: 何が資本主義を駆動させたか (筑摩選書)

ヨーロッパ文明の正体: 何が資本主義を駆動させたか (筑摩選書)

 

  ヨーロッパで資本主義が発達した要因について解説した本。

 今西錦司の棲み分け論を歴史学に応用すると、二つのレベルで考えることができる。

①自生的・生態学的棲み分け 生活場所の分かち合い。ヨーロッパでは分散・競合して均衡するような人口・権力の棲み分けが行われた。

②能動的棲み分け 積極的・強制的棲み分け。空間や時間などを積極的に整理整頓・スケジュール化する。

 ヨーロッパに特徴的な自生的・生態学的な人口と権力の棲み分けが、市場の棲み分けを生み、そこから万人が富の分配を受けるチャンスのある富の棲み分けが生じた。権力が分散しているため上からの圧力が弱く、人々は富の棲み分けにより理系に舵を取り、科学技術が発達した。また、富の棲み分けは農村に貨幣関係のネットワークを生み出し、これが19世紀に資本主義社会として制度化された。

 本書は、ヨーロッパの資本主義を棲み分け論から説き起こしている画期的な本である。ヨーロッパは人々が分散し、小都市が分立してそれぞれに権力を持っていたため、上から弾圧されることなく市場や科学技術が発達した。それが貨幣関係のネットワークを発達させ資本主義を生み出す。一つの仮説として面白いが、もちろん資本主義はもっと複雑な要因で生まれてきたのだろう。歴史学において仮説を立てることの面白さを感じた。