社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

詫摩佳代『人類と病』(中公新書)

 

 

  国際的な保健協力の観点から人類と病との関わりを読みといたもの。病に対する国際協力体制を「国際保健」「グローバルヘルス」という。国際保健は複数の共同体が感染症対策を始めたことに由来し、具体的には14世紀のペスト流行のときから始まる。その後チフスコレラの対策のため条約が締結されたり国際機関が設立されたりした。人類と病との戦いはこのような国際政治のステージで展開されるため、大国と小国とのパワーの非対称、世界経済の動向など、国際社会の様々な要素によって影響される。

 本書は国際保健の観点から見た国際政治の本である。国際政治というと戦争や貿易などが思い浮かぶが、疾病との戦いもそれがグローバルなものである以上国際政治のステージ上で動く。本書では感染症だけでなく、生活習慣病やタバコの害に関する国際協力にも触れているし、また薬へのアクセス可能性に関する国際的な不平等の問題にも触れている。構成がしっかりしているし、記述は簡潔で信頼できる本だと思った。国際政治はこのご時世ほとんどあらゆる領域で問題となってくるのかもしれない。

ハ・ワン『あやうく一生懸命生きるところだった』(ダイヤモンド社)

 

あやうく一生懸命生きるところだった

あやうく一生懸命生きるところだった

  • 作者:ハ・ワン
  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 自由と健康は誰しもが大事にしたいと思っている基本的な価値だと思う。人は自由に行動したいし、健康に生きていきたい。できるだけ縛られたくないし、辛い思いはしたくない。だがここに職業というものが関わってくるとどうなるか。人は世の中で生活していくにはお金を得ないといけないが、そのためには何らかの職業に就かねばならない。だとしたら、どんな職業に就くことが一番自由と健康を獲得することができるだろうか。

 ハ・ワン『あやうく一生懸命生きるところだった』(ダイヤモンド社)は、韓国でベストセラーになったエッセイであり、仕事で組織に縛られ一生懸命になるよりはフリーランスでゆっくり生きた方が豊かに生きられることを主張している。ここにあるのは、安定した職に就き不条理などに耐えながら一生懸命仕事をし、たくさんのお金を稼ぐことと、不安定ながらも自分に適した職に就き、低ストレスで少ないお金で生活することとの対比である。

 さて、人間は仕事に就いたからと言って必ずしも自由を失うわけでもないし健康を害するわけでもない。仕事にやりがいを感じている人にとっては、仕事をすることがまさにその人の自由の行使であるだろうし、仕事をすることで心身が生き生きしてくるのだろう。そのような「ワーク・エンゲイジメント」の状態は昨今推奨されているが、実際にそんなにうまくいくわけではないことは多くの社会人が知っている。不本意なノルマが課され、人間関係のストレスにさらされ、残業を強いられ、健康を失う代償として多額のお金を得る、労働をそうとらえている人は多いはずだ。

 結局はバランスの問題なのだ。仕事をしないことはかえって不健康だしお金がないから自由にも制限がある。かといって仕事をし過ぎると仕事に縛られお金を使う余裕すらなくなってしまう。その中間で「緩く」仕事をするということ。この「遊び」のある緩い仕事こそが求められていくのではないだろうか。

ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』(岩波現代文庫)

 

永遠のファシズム (岩波現代文庫)

永遠のファシズム (岩波現代文庫)

 

  作家であるウンベルト・エーコの政治に関する論考を収めた本である。戦争について、その情報技術社会における位置づけや知識人の責任、ネットワーク的生起などについて論じた論文や、ファシズムの本質的な特徴を列挙し、ファシズムへの警鐘を鳴らした論文などを収めている。

 エーコの議論は政治学者の議論には及ばないが、文学者でありながらここまでの議論を展開できるリテラシーには敬服する。およそ知識人たるもの、文学の世界に閉じこもっていたのではその文学世界にもおのずと限界が生じる。より広い領域へと知性の探索する領域を広げることで文学のスケールも広がって行くのだろう。

 作家の政治責任などが論じられることがあるが、それは案外単純な問題であって、エーコのように政治的な論文が書ける程度に見識を深めることが最低ラインとして要求されるくらいのものではないだろうか。

渡辺靖『白人ナショナリズム』(中公新書)

 

  黒人への暴力行為などで最近注目を浴びている白人ナショナリズム。本書はその実態について概観できる優れた本である。白人ナショナリズムとは、人種的・民族的多数派による文化的反動の一例であり、移民などの勢力拡大により脅威を感じている白人たちが、白人の権利や優越性などを主張し他を排斥する動きである。彼らは反ユダヤであったり反ポリティカルコレクトネスであったりする。過激派はヘイトに走ったりする。

 社会の多様性を認めていこうというリベラルの動きに反して、その多様性により利益を失う白人たちは多様性を排し同質性へと向かおうとする。多様性は決して社会にとってプラスの面だけを持っていたわけではなく、それまで社会の中心勢力であった白人たちのメンツをおびやかしている。白人ナショナリズムは多様性を認める社会への当然の反動だったと思われるし、それは欧州でも拡大していて、やがて日本でも同様の事態は生じてくるだろう。白人ナショナリズムは普遍的な問題なのである。

長谷川宏『幸福とは何か』(中公新書)

 

  長谷川は本書で幸福を、「穏やかで静かで身近なしあわせ」ととらえたうえで、様々な哲学者の幸福論を自らの幸福観と照らし合わせている。もちろん哲学者たちの幸福論は長谷川の幸福論とはそれほど一致しない。特に高みを目指して精進する系の幸福論とは長谷川は一線を画する。長谷川にとって幸福とはとりわけ努力して得るものではなく、ごく普通の庶民がごく平凡な日常生活を送ることから生じてくるのである。

 本書は、様々な哲学者の幸福論を、著者自身の幸福論との対比で読み解くことができてなかなか面白い。幸福論に正解があるとは思えないし、そもそも正解のある種類の問題ではないと思うのだが、それにしても多様な幸福論が展開されているのが面白い。だが、私も割と長谷川の立場には共感するところがある。ごく普通の日常がごく普通に続いていくこと、生活が通常に回っていくこと以上の幸せはなかなかないのではないだろうか。