社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

私はなぜ残業をしないか

 私は基本的に毎日定時で帰ることにしている。夜の残業は休日の前か金曜日以外しないことにしている。理由は簡単である。効率の悪い労働は悪だと思っているからだ。ちなみに私は夜の残業をしないだけであって朝は毎日1時間の残業をしている。月20時間、残業代で言ったら年間120万円相当である。私はこの朝の残業について残業代を一切支払われていない。
 私は朝型の人間である。朝4時に起床し、夜20時に就寝する。そうすると脳の働きを考えると朝仕事をした方が集中できて仕事がはかどるのは当然である。これは脳科学がそう言っているのである。起床してから12時間経つともはや人間の集中力が切れることはよく知られているが、私が夜残業するとなると、もはや脳が酩酊状態のときに効率の悪い労働をすることになり、すこぶるコスト意識の欠けた行動をとっていることになる。
 加えて、普通の日に夜の残業をすると疲労感が次の日も抜けず、次の日の労働効率が落ちる。私は今までに、夜の残業で労働効率が落ちて、労働効率が落ちたがゆえにさらに残業し、さらに労働効率が落ちるという負のスパイラルに陥っている職員を何人も見てきた。コスト意識の欠けた愚かな職員だと思っている。
 私の職種では早死にが多い。残業とパワハラによる健康障害により60代くらいで命を落とす先輩職員たちが後を絶たない。残業が健康に悪いのは誰もが実感していることであり今更言うまでもない。残業を続けていけば、これから定年後も働かなければいけない時代に対応できなくなってしまう。
 つまり、なぜ私が夜の残業をしないかというと、やる気がないわけでも長時間労働に耐えられないわけでもなく、コスト意識に欠けた非効率な労働を行うことの愚かさに耐えられないのである。脳科学経営学の本を何冊か読めばこんな基本的なことはわかるはずなのだが、わが職種は勉強不足の者が多いためいまいち理解されないようだが、とにかく労働の効率を上げることが働き方改革の眼目である。働き方改革を成功させるには、まず無駄な残業を削減することから始めていかなければならない。もちろん仕事量が多いという問題はあるかもしれないが、それは朝の効率的な残業と適切なワークシェアで解決すべき問題であり、非効率的な夜の残業で解決すべき問題ではない。

本田由紀『教育は何を評価してきたのか』(岩波新書)

 

教育は何を評価してきたのか (岩波新書)

教育は何を評価してきたのか (岩波新書)

 

  日本の教育がいかに序列化と画一化を生み出したかを検証している本である。日本では人間の望ましさを「能力」「態度」「資質」という言葉で評価してきた。能力による評価は垂直的序列化を生み出し、メリトクラシーを定着させた。メリトクラシーには下位層を生み出すという欠点がある。態度や資質による評価は水平的画一化を生み出し、教育による個人の教化が行われた。水平的画一化は社会的排除を生み出す。垂直的序列化と水平的画一化が優位を占め、水平的多様化が定着していないのが日本社会である。そのことが変化に対する柔軟性を乏しいものとし、「他の可能性」を排除する機構を形成している。

 日本の生きづらさは垂直的序列化により下位層のレッテルを貼られることや、水平的画一化により異質なものが排除されることにより生じている。そうではなく、多様な個人が多様なまま活躍できる水平的多様化が求められている。それを実現するために著者が掲げる方策は幾分ドラスティックすぎる嫌いがあるが、教育を抜本的に変えないと日本の生きづらさは解消されないと思われる。それにしても、能力、資質、態度という言葉の使われ方から日本社会の問題点を剔抉する手法は鮮やかだった。大変優れた著作だと思った。

植村和秀『ナショナリズム入門』(講談社現代新書)

 

ナショナリズム入門 (講談社現代新書)

ナショナリズム入門 (講談社現代新書)

  • 作者:植村 和秀
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書
 

  本書はナショナリズムを定義づけたうえで、そのダイナミズムを世界各国の具体例を通して説明している。ナショナリズムとは、まとまった土地を確保しそこに歴史を積み重ね他者からの認知をを獲得して形成されたネーションへのこだわりである。ネーションの形成の仕方には、人間集団単位と地域単位があり、人間集団単位でネーションを形成すると地域が分断され、地域単位でネーションを形成すると人間集団が分断されるなどの困難さが生じる。

 本書は多数の国家のネーション形成の歴史を追うことによってネーション形成の多様性を示しているが、確かに一つの国を作り上げるということはとてつもなく複雑で困難なことなのだと思う。ナショナリズム間の争いなどについても簡単に触れられてはいるが、基本的には人間集団単位と地域単位のネーション形成のせめぎあいについて多くの紙幅が割かれている。ナショナリズムを基本から理解するのに適した本だと思う。

佐々木毅『アメリカの保守とリベラル』(講談社学術文庫)

 

  本書はアメリカの保守とリベラルの対立、またその対立の乗り越えについて論じた基本的文献である。小さな政府を志向し、カトリック道徳に忠実な保守と、大きな政府を志向し、弱者の救済を図るリベラル。アメリカではこの二つのイデオロギーが、政党レベルでは共和党民主党という形で対立してきた。お互い様々な観点から批判の応酬を繰り返す。リベラリズムはプラグマティックな傾向が強い現実重視のネオ・リベラリズムに発展する。また、冷戦後の新しい世界秩序に対応して、政府か市場かという対立よりも東アジアの重商主義的資本主義や西欧の社会民主主義的資本主義とアメリカは対立するようになったなどと論じられるようになった。保守かリベラルかというよりは第三の道が探られている。

 アメリカは割と政権交代が頻繁な国であり、保守とリベラルは互いに拮抗しているが、単なるイデオロギー闘争に終わるのではなく、より現実主義的で臨機応変な立場へと変化していくのが望ましいであろう。世界情勢に対応した、対立を超克した立場へと変貌していき、世界への影響力を先端的な現実認識によって取り戻してほしい。本書は保守とリベラルについての基本書的位置づけにあり、まずはこれを読んでおくというところだろうか。

パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』(早川書房)

 

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら

 

  本書の著者はイタリアの作家であり素粒子物理学者でもある。それゆえ、このエッセイには多分に科学者としての知見が盛り込まれており、作家のエッセイというよりは科学者のエッセイと言った方がいいかもしれない。

 自然界における数の推移というのは比例という線的なものではなく、オーバーシュートに見られるような指数関数的・非線形のものが多い。そして、今の状況は人々がビリヤードの球になって、感染者がほかの球に当たることにより新たな感染者を生み出すような状況であり、この密度を下げるしか方策がない。今回のコロナ禍が明らかにしたものは、我々は人々とのかかわりの中で生きているということ、そして世界とのかかわりの中で生きているということ、さらには地球という生態系とのかかわりの中で生きているということだ。などなど。

 本書はコロナについて本質的な洞察を与えてくれる本であり、それは著者の科学者としてのキャリアが可能にしているのだと思う。それであると同時に、著者が刻々と変化する状況に翻弄されているさまも見えてくる。だがあくまで著者は冷静だ。あれだけ感染が拡大したイタリアでここまで冷静でいられるのは素晴らしいし、それは確固たる知識の裏付けがあったからだろう。