社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

原俊彦『サピエンス減少』(岩波新書)

 日本だけでなく世界全体もいずれは人口減少に直面し人類は消滅に向かっていくという見取り図を提示する衝撃の本。人口学の専門家が著した本なので信憑性は高い。20世紀後半から22世紀にかけて、世界人口はアジアの世紀からアフリカの世紀へと入れ替わっていく。もっとも人口増加が進むのは後発開発途上の国々であり、中進国・先進国の人口は急速に減少する。その変化を支えるだけのアフリカの経済発展が必要である。また、国際人口移動をなるべく自由にしない限り、人口減少はより加速化するため、移民の受け入れなどは急務である。

 人類の歴史は終わってしまうかもしれない。そんな衝撃の事実を提示する本であり、これは読む人の人生観や世界観を変えてしまうのではないだろうか。もちろん人口を維持することも可能かもしれないが、少子高齢化が進むのは日本だけでなく全世界の潮流でもあるのだ。人類の未来について考えなければいけない時が来ている。

木村忠正『デジタルネイティブの時代』(平凡社新書)

 質的研究と量的研究を掛け合わせて行われたデジタルネイティブの研究。デジタルネイティブとは、デジタル技術に青少年期から本格的に接した世代のことで、1980年前後以降生まれの世代のことである。デジタルネイティブのコミュニケーション特性は、①空気を読む圧力、②対人距離を構成する「親密さ」と「テンションの共有」が相互に独立し、「テンションの共有」のみによる「親しさ」への志向、③「コミュニティ」「ソーシャル」とは異なる「コネクション」という社会原理の拡大、④サイバースペースへの強い不信感、低い社会的信頼感と強い「不確実性回避傾向」である。

 2012年に発表された研究であり、若干古くはあるが、今でも十分通用する議論がなされている。かなり先駆的な研究だったのではないか。ちょうど私もデジタルネイティブ第一世代なので、そこで分析される自分たちのコミュニケーション特性にうなずくところが多かった。さらに世代が下っていくにしたがって、どんどん今の若者のメンタリティに近づいて行く様が見事である。

齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)

 クライム・ノンフィクション。異常な性格を持つ母親から、暴力・罵倒・強要などの虐待を受け続け、最終的に母親を殺した娘の物語。実際に起こった刑事事件の綿密な取材のもと生まれた非常に読みやすい書物である。能力的に合格不可能な国公立大学医学部への合格を9年も強要され続けるあたり、恐怖を感じる。

 最近、毒親、毒母、親ガチャといった話題がよく上がるようになっている。虐待をするような親に育てられた子供は一生涯不利益を抱き続ける。ACEサバイバーというものだ。このような犯罪に駆り立てられるのも非常な不利益である。最近の時流に乗った話題作である。

岡嶋裕史『メタバースとは何か』(光文社新書)

 メタバースについて、具体例を挙げながら解説している本。メタバースとは、「現実とはすこし異なる理で作られ、自分にとって都合がいい快適な世界」のことであり、ゲームやSNSVRと親和性が高い。仮想世界では現実のしがらみから解放されてもっと楽しく充実した人生を生きられるかもしれない。だが、仮想世界は現実逃避にもっぱら用いられてしまうかもしれないし、急速に構築される世界でテックジャイアントの思うがままの正義が出来上がってしまうかもしれない。

 最近とみに注目を集めているメタバースであるが、すでにゲームなどで現実とは別のもう一つの現実が作成されている。今はまだメタバースの包摂力は強くはないが、将来的には人々がメタバースで過ごす時間が増えるかもしれない。私は仮想現実よりも生の現実の方が居心地が良いのでメタバースにはあまり食指が動かないが、これからの社会の在り方を変えていく技術だと思う。

船木亨『倫理学原論』(ちくま新書)

 倫理学の根本を探求した本。倫理はしばしば宗教・政治・経済・法律と混同されて互いに入り混じってしまう。宗教・政治・経済・法律が混ざっていない純粋倫理について本書は探求している。純粋倫理は言語以前の倫理であり、身体的であり気分や情緒に左右される。それは習慣やマナーというありふれた経験である。ただ、そこには得体のしれないまま倫理的な判断や行動が決定させられてしまう不気味さがあり、それを解消しようと抽象的な倫理学が形成された。

 本書は、おそらく主にレヴィナスに依拠して倫理学の根本問題について思考していると思われる。倫理というものは原理的に身体的であるという思考がまさにそれであり、そこから習慣やマナーが形成されていく論述の仮定は見事である。純粋倫理というものがどういうものか、不純物を切り分けて思考していくのが小気味よかった。