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組合について

 組合契約は、各当事者が出資をして共同の事業を営むことを約することによって、その効力を生ずる(667条1項)。この文言からすると、組合を作る行為というものは双務契約であって、組合員に出資をさせ、組合規約などにより組合員の行動を規律し共同の事実行為を積み上げる、そういう債権債務関係を作ることだと解するのが素直である。

 ところで、668条には「組合財産」、677条には「組合の債務者」とあり、あたかも組合が権利能力を持ち、財産の所有権の主体となり、債権者となるかのように見える。ところが組合は必ずしも法人とは限らないはずである。では、「組合財産」「組合の債務者」というものをどう扱ったらよいか。

 676条1項で、組合員による組合財産の持ち分処分は組合に対抗できないとされているが、これは、組合財産というものが、そもそも共同の目的実現のためにその処分が内部的に一定程度制限されていることの表れと解することができる。つまり、組合員は組合財産について勝手に処分しない債務を互いに負うのである。これは組合の本質についての双務契約説になじむ。

 ところが、677条における、組合の債務者による組合員に対する債権による相殺の禁止は、双務契約説では説明しきれない。組合債権が組合内部で勝手に処分できないことは、双務契約の内容として理解できる。だが、双務契約は組合員の間にしか成立していず、その効力は組合の債務者や組合の債権者には及ばないはずである。これは双務契約の債権的性質、つまり相対効にもとづく。

 また、組合員の組合財産に対する持分について、組合員に対する債権者は差し押さえができない。これも組合の本質を双務契約だとすると説明ができない。債権者には組合内部の債務の効力は及ばないからである。

 こう考えてくると、組合を作るということは、組合契約という双務契約であると同時に、組合財産や組合という団体を作る合同行為でもあると解するのが妥当であろう。組合という団体は特に法人格を持たず、組合財産は特に法人によって保持されているわけでもないが、一定の対外的な独立性を持ち、組合員自身から切り離されているものと解するのが妥当であろう。