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法の内面化

 長尾龍一法哲学入門』によると、ラートブルフやカントは法の「外面性説」をとったらしい。つまり、道徳は個人の内面を拘束し、法は外面を拘束する、という説である。法は外面しか拘束しないのだから、人間は内面において必ずしも順法精神を持っている必要はない。個人は自分の利益を追求して、罰されたらいやだから仕方なく法に従うという態度をとっても一向に構わない。

 それに対して、法を内面化し、喜んで自発的に法に従う人もいるらしい。闇米を買わずに餓死した判事なんかがいるらしい。このような人たちに対して、ケルゼンの言うような法の強制説は根拠を欠く。強制説は、利害の対立を最終的に暴力的に解決するのが法である、とする。だが、順法者たちは法に喜んで従うので、彼らは自らが法に違反したとき、自らによって自らを処罰するであろう。そうすると、国家が法的判断に基づいて物理的に執行する余地がなくなる。法は強制をする必要がなくなるのである。

 法を内面化しそれに喜んで従うような人ばかりの社会だったら、実定法は大きく変わっていただろう。少なくとも執行制度は存在しなくなる。だが実際は、功利主義的な発想の人間ばかりだから、法は外面しか規定しえず、法は強制をしなければいけなくなる。