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社会科学読書ブログ

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条文って何だろう

法哲学

 すべて国民は、法の下に平等である(憲法14条)。だから、国家は同じ国民は同じく扱わなければいけない。だが、「同じ」である、すなわち同一であるといっても、様々な程度がある。損害賠償債権も代金債権も、債権であるという意味では同一である。だが、その債権の発生原因が異なるので、発生原因まで考慮に入れれば、両者は同一でない。次に代金債権を考えよう。おもちゃの代金債権も、高層ビルの代金債権も、代金債権であるという意味では同一だ。だがその額が異なる。額まで考慮に入れると、おもちゃの代金債権と高層ビルの代金債権は異なる。

 つまり、同一性が抽象的に設定されると、同一性の認定される範囲が広がるが、同一性を具体的に設定すると、同一性の認定される範囲が狭まる。どのくらい同じものを同じく扱えばよいのか。この同一性の抽象度を決めるのが立法である。たとえば民法555条は、「当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約すること」という同一性を設定し、その同一性の範囲内であれば、売買の効力を発生させている。「財産権」がおもちゃの所有権であれ、高層ビルの所有権であれ、555条は同一のものとして扱い、契約がなされれば、代金債務・引渡債務という同一の効果を発生させるのである。その一方で、交換されるものがどちらも金銭以外の財産権であれば、それは586条の交換契約とされて、売買契約の同一性の範囲外とされるのである。

 要件該当性、すなわち同一性を認定するのは人間である。だから、同一性はなるべく簡略に規定されたほうが判断しやすいし、そんなに細かい区別にまで人間はいちいち拘泥しない。一方で、平等原則から、同じものは同じく扱う、その反対解釈から違うものは違うように扱う必要が生じる。同一性を厳密かつ具体的に設定する必要もあるのである。法律の条文は、法的な同一性を設定するものであるが、その同一性は、一方で簡略であることが要求され、他方で具体的であることが要求される。そのバランスの中で、違うものは違うように取り扱わねばという社会常識に照らして許容できるまでに簡略化されたものが法律の条文であろう。

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