社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

マイクロアグレッション

 最近、少数者や特定の属性を持つ人に対する些細な、ときには意図せざる差別的言動をマイクロアグレッションと呼ぶようになった。例えば女性の業績に対して「女性なのにすごい」と言ったりすることの背後には、「女性は大したことがない」という偏見が隠れていて、この隠れた偏見が言われた女性を傷つける。

 このような些細な意図せざる攻撃によって、少数者などは小さな傷を蓄積させていき、それがいつの間にか大きな傷となってしまうのである。大人なのだからスルーしよう、そう思ってスルーしたつもりの小さな傷が、積み重なってしまうことにより大きな傷になる。今あげた女性も、マイクロアグレッションを浴び続けることにより、気が付いたらもう職場に行きたくなくなってしまうかもしれない。

 マイクロアグレッションですら大きな傷となるのだが、これが学校や職場のいじめだったらどうなるか。明らかにいじめとわかるものならそれはいじめであろうが、陰険で巧妙で微細ないじめであったら、それはマイクロアグレッションと同様に、被害者に小さな傷を継続的に与え続けることで、大きな傷を生むのではないだろうか。

 特に職場における陰口や仲間外れなどは、見た目はマイルドかもしれないが、それが継続されることで小さな傷が積み上がり、回復しがたい大きな傷を生む。社会人は、自分は大人だからこんなことはスルーしなければならないと相手にしないかもしれないが、それでも小さな傷は積み上がり、気づいたら体調を崩している、会社に行きたくなくなっている、そういう事態になる。

 マイクロアグレッションの被害に遭うのは、特定の属性を持つ人だけではない。誰でも被害に遭う可能性があり、それは例えば上司に気に入られなかったという本当に些細なことがきっかけかもしれない。だが、その上司に継続的に些細な嫌がらせを受けることにより、部下はいつの間にか大きな傷を受け欠勤するようになりかねないのだ。

 マイクロアグレッションはもはやだれでも当事者になりうる。

山本圭『嫉妬論』(光文社新書)

 嫉妬について小気味よくまとめて論じた本。嫉妬は民主社会において、人々が平等であることによっていっそう生じやすくなっている。嫉妬は公益的に作用すると世直しを導く可能性もあるが、基本的に公益をも害することが少なくない。嫉妬から逃れるためには、例えば物を作って自信と個性を持つことなどが挙げられる。嫉妬は比較から生まれるが、比較から逃れられないのなら逆に徹底的に比較することもよいかもしれない。

 本書は、嫉妬について古今東西の文学作品や哲学思想から論点を洗い出しきれいに整理整頓した好ましい本だ。嫉妬というこの厄介な感情について、理解は深まりはすれ、現実社会で自らが抱く嫉妬、自らが抱かれる嫉妬からは逃れられない。幸い自分は物を作っているから嫉妬から比較的逃れられているようである。

奥村隆『他者といる技法』(ちくま学芸文庫)

 論文集。人間はただのリラックスした家庭生活を送るときでさえ、表情を整えたり相手に反応したり、一定の他者とともに居る技法を用いている。他者といる技法についていくつかの論点から迫っていくが、その際に、著者のスタンスは被害者のそれではない。社会から被害を受けたものとして、社会の外側から問題を告発していくのではなく、社会のすばらしさも不適当さもともに味わっているごく普通の社会の中の人間として社会を論じていくということ。そのようなスタンスでこの論文集は書かれている。

 適度な複雑さで進行していく議論は心地よく、他者とあることの面白さについて楽しみながら読めていく本である。こういう本が読む者の教養を深めるのだろう。論文集は即効性のある知識はあまり提示せず、むしろ専門的な論点を扱っているが、こういうものを読むことで鍛えられる思考力は読者の教養を深める。とても良い本だった。

 

橋本努『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社選書メチエ)

 世の人々の価値観を大分類している本。従来の保守・リベラルなどとは異なった価値観の軸を提唱している。①行政の倫理:合意形成力、事務的有能さ、自発性、正直、節倹、規律、計画性、②生活者の倫理:交渉力、自律、寛容、切磋琢磨、効率重視、信頼形成、チームの協力、③企業家の精神:勇気、積極性、楽観性、新奇さの肯定、先見の明、④封建的共同体の倫理:排他的、伝統尊重、位階尊重、⑤貴族的精神:勇敢、名誉、闘争、⑥ポスト近代文化の倫理:余暇を豊かに使え、豊富な経験と体験を持て、ユニークさを鍛えよ、異質なものを歓待せよ。

 我々は、それぞれの置かれた立場に応じて、それぞれ望ましい倫理的態度をとる。会社では組織人としての倫理に従い、家庭では生活者としての倫理に従う。その中で、本書に挙げられている「ポスト近代文化の倫理」は私の価値観にフィットしていると感じた。確かに現代はこのような価値観で人々が動いているように感じる。

人事の公正性の原則

 我々社員は人事部の言うことはきちんと聞く。なぜなら人事は公正に運営されているという信頼があるからだ。社員の人事は常に公正に運営されなければならない。これが人事の公正性の原則だ。仮に人事が公正に運営されておらず、情実や政治によって不当にゆがめられているとするならば、我々は人事を信用しなくなり、離職したり頻繁に異議申し立てすることになって、組織にとって不利益な事態が生じるであろう。

 だから人事はロジックによって行われなければならない。そこにパッションやポリティクスの入り込む余地を最小限にしなければならない。人事がロジックで行われているのなら、そこには客観性による公正性の担保があり、職員の信頼が寄せられる。それに対してパッションやポリティクスによる不当なゆがみがあると、職員にはもう信頼されない。

 人間と人間の間に信頼関係があるように、組織と社員の間にも信頼関係がある。努力した社員や功績のある社員を正当に評価し、さらなるモチベーションを与えるのが人事の場であって、それにより社員と組織との信頼関係を改めて確認するのだ。努力して実績を上げた職員は、人事上の良い処遇を受けることで組織に一層信頼を寄せる。反対に努力して目に見える実績を上げたにもかかわらず組織から何も見返りがなかったらその職員と組織との信頼関係は悪化するだろう。それは離職や頻繁な異議申し立てにつながっていき、組織の利益が害される結果となる。

 人事部は人事異動のほかにも処分なども行うが、人事が公正に行われていなければ処分についても信頼が失われる。処分を受けた職員は初めから人事部への信頼がないのならば訴訟などで争ってくるであろう。そういったリスクを避けるためにも、人事部は常に客観的なロジックでもって動かなければならないのである。

 人事の公正性の原則とは、人事が客観的なロジックで行われ、そこにパッションやポリティクスが入り込まないことである。それは社員が人事部に寄せる信頼の根拠であり、それが失われたとき組織は深刻な機能不全に陥るであろう。