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マイクロアグレッション

 最近、少数者や特定の属性を持つ人に対する些細な、ときには意図せざる差別的言動をマイクロアグレッションと呼ぶようになった。例えば女性の業績に対して「女性なのにすごい」と言ったりすることの背後には、「女性は大したことがない」という偏見が隠れていて、この隠れた偏見が言われた女性を傷つける。

 このような些細な意図せざる攻撃によって、少数者などは小さな傷を蓄積させていき、それがいつの間にか大きな傷となってしまうのである。大人なのだからスルーしよう、そう思ってスルーしたつもりの小さな傷が、積み重なってしまうことにより大きな傷になる。今あげた女性も、マイクロアグレッションを浴び続けることにより、気が付いたらもう職場に行きたくなくなってしまうかもしれない。

 マイクロアグレッションですら大きな傷となるのだが、これが学校や職場のいじめだったらどうなるか。明らかにいじめとわかるものならそれはいじめであろうが、陰険で巧妙で微細ないじめであったら、それはマイクロアグレッションと同様に、被害者に小さな傷を継続的に与え続けることで、大きな傷を生むのではないだろうか。

 特に職場における陰口や仲間外れなどは、見た目はマイルドかもしれないが、それが継続されることで小さな傷が積み上がり、回復しがたい大きな傷を生む。社会人は、自分は大人だからこんなことはスルーしなければならないと相手にしないかもしれないが、それでも小さな傷は積み上がり、気づいたら体調を崩している、会社に行きたくなくなっている、そういう事態になる。

 マイクロアグレッションの被害に遭うのは、特定の属性を持つ人だけではない。誰でも被害に遭う可能性があり、それは例えば上司に気に入られなかったという本当に些細なことがきっかけかもしれない。だが、その上司に継続的に些細な嫌がらせを受けることにより、部下はいつの間にか大きな傷を受け欠勤するようになりかねないのだ。

 マイクロアグレッションはもはやだれでも当事者になりうる。