社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

橋本努『ロスト近代』(弘文堂)

 ポスト近代の後にくるロスト近代における現状と打開策を論じている本。ポスト近代においては、近代の超克が企図され、父権としての超越的規範が批判され規範そのものが失われていった。その過程で、抑圧されていた欲望が噴出し、人々は果てしなき消費に駆動された。だが、その欲望消費はロスト近代において減退しつつあり、権威の過小抑圧のもと欲望も減退しつつある。そのようなロスト近代においては、人々の潜在能力を引き出す「多産性の原理」に期待が寄せられる。多産性の原理は、自然の超越的価値を模倣しながら新たな創造を生み出す。

 様々な学説を引用しながら、重厚かつ緻密に展開されていく議論はまさに圧巻である。現代においてロスト近代が到来しているというのはまさに私も実感しているところであり、そこで多産性の原理が重要であることも本質を言い当てていると思う。知らなかったこともいろいろと勉強になり、とにかく現代について考える際に非常に参考になる本である。おすすめです。

 

 

 

小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社)

 ケアの精神を文学作品から読み解く試み。人間には連続的進行の「クロノス的時間」とは別の、経験に基づいた想像世界が育まれる「カイロス的時間」が流れている。ケア労働の背後にある内面世界にはカイロス的時間が流れている。また、文学の傑作は両性具有的な性格を備え、自立した自己を前提とした「正義の倫理」が見落としてきたスピリチュアルな「多孔的な自己」のイメージを備えている。それもまたケアの精神につながっていく。また、留保して耐えるネガティブケイパビリティもまた文学作品のもととなり、ケアの精神につながる。

 本書は、文学作品に表れているケアの精神を読み解いているが、それは文学作品にケア労働が描かれているということよりは、ケアの精神をもっと深く掘り下げて考察し、そこに様々な鍵となる概念を見出し、その概念が文学作品に反映されていることを読み解いているのである。ケアについて考える際に必須となってくる概念がいかに文学作品に読み取れるか。このような文学作品の読みときは初めて読んだ。なかなかスリリングだった。

橋本努『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』(筑摩選書)

 最近消費におけるミニマリズムが唱えられているが、それが脱資本主義とどう関係するか論じた本。今はポスト近代のさらに先のロスト近代であり、必要最低限のモノで生きていくミニマリズムのライフスタイルを実践する人が増えている。巷では断捨離が流行し、一昔前のように高級なものを消費する人は少なくなっている。それよりも、少なく限られたものを長く使う、余分なものは捨てるライフスタイルが増えている。これは、子や孫の幸せや社会的弱者の救済のためにお金を使い、資本の支配力や集中力を社会的に削ぐ方向性があれば脱資本主義と親和的である。

 確かに、たくさん働きたくさん浪費するワークアンドスペンドサイクルはもう過去のものになっている。人は顕示的消費をしなくなり、それよりも生活をシンプルに、そしてモノよりもコトを大事にするようになっている。そのようなミニマリズムが脱資本主義とどのように接続するか論じた本である。ミニマリズムによっても勤労はするわけであるが、そこで生み出した富を大企業の資本形成に用いるのではなく、自らの子孫や社会的弱者のために使うのが脱資本主義と親和的だとするのが本書である。面白い議論である。

栗原康『超人ナイチンゲール』(医学書院)

 ナイチンゲールについての現代的な視点から見た評伝。ナイチンゲールは、看護という営みを通して、リスクを計算して合理的に生きるという近代的個人を超えている。それは彼女の神秘主義についても言えるし、ケアに身を投じる際、後先顧みずとにかく看護の現場に赴くという態度にも見て取れる。ナイチンゲールは近代的個人を超えた超人なのである。

 本書は、近年のケアの哲学を参照し、また著者自らのアナキズムの視点を加味し、ナイチンゲールの評伝を新たに書き直したものである。語り口は軽快でテンポよく、楽しみながらあっという間に読めてしまう。娯楽的でありながら思想性に満ちていて刺激的である。とてもお薦めの本である。

東畑開人『ふつうの相談』(金剛出版)

ふつうの相談

 医師が専門的な知識を用いてカウンセリングなどを行うのはむしろ例外的であって、世の中にはインフォーマルな相談でありふれていてそれが治療効果を持っているとする本。「ふつうの相談」とは、民間セクターで交わされている素人同士の治療である。このふつうの相談の説明モデルとなるのが「世間知」であり、世間知とは心と社会双方についての素人知を有機的に結合させたものである。世間知に基づくふつうの相談が、目の前の人の苦悩や不調を医学的疾患ではなく、「生きる」ことの個人的な困難として理解する。そのうえで、心がどう変わるとよくて、環境の何が変わるとよいかの指針を出す。

 臨床心理学などの理論に基づくハードコアな相談が純粋な相談のように思われがちだが、社会で実際に行われているのはふつうの相談であることが圧倒的に多く、そうであるならばふつうの相談について理解を深めておこうと理論化している本である。なかなか柔軟な発想によって書かれていて、この分野で書かれた理論書はおそらく少ないのであろう。とても勉強になった。