本書は、イエスの歴史的実像について、信仰を媒介とするよりは、飽くまでその史的真実に迫ろうとした著作である。イエス像は多様であるが、その多様性は、伝承書記者の史観や視座の相違に由来する。本書は、飽くまで伝承の最古の層にまで遡り、イエスの原像に迫ろうとする。
そこから浮かび上がってくるイエス像は、だいたい次のようなものである。イエスは当時の政治的=宗教的体制によって差別されていた下層民たちのもとに立ち、民衆と共に、人間が人間らしく、他者と共に生きていくことを求めていた。その結果、彼は差別を作り出しているユダヤの支配者たちへの批判をするようになり、律法批判・神殿批判へとその振る舞いをエスカレートさせていった。それゆえ、体制側からは目障りとなり殺されたのである。
本書がイエスの実像に迫っているのかどうか、即断することはできない。いかなる解釈も何らかの仮定を前提とするものであり、またその仮定も解釈を前提とする。本書もまたこの解釈学的循環を逃れるものではないが、主張の一貫性においては優れていると言えよう。