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山脇直司『公共哲学とは何か』(ちくま新書)

 

公共哲学とは何か (ちくま新書)

公共哲学とは何か (ちくま新書)

 

  現在、公共哲学への関心が高まっている。それは、(1)「お上の公」でも「私益を追求する市場」でもない「民を担い手とする公共」に期待が高まっている。(2)もはや公私二元論で全てをとらえることができず、政治にも民が参加し、市場にも政府が介入するなどして、公でも私でもない公共に目が当てられている。(3)そういった社会の動きをとらえるために、トランスディシプリナリーな公共哲学の必要が認識されている。(4)「公共性と個人」という問題が注目されていて、滅私奉公でも滅公奉私でもない、個人を生かしつつ公共性を開花させる方向が期待されている。(5)冷戦体制が崩壊し、新しいイデオロギーが求められていて、グローバルな問題を論ずる視座として期待されている、といった理由による。

 本書では、公共哲学とは何か、公共哲学に関する西欧の伝統、明治維新以降の日本の公共哲学的検討、公共世界とは何か、社会の様々な領域に公共哲学はどのような役割を果たすか、グローカルな公共哲学について、といった具合に議論が進められていく。

 私は、本書を読んだとき、初め「公共哲学」と「社会哲学」の区別がつかなかった。なぜ山脇は本書をあえて「公共哲学」と題したのか。言っていることは社会哲学に過ぎないではないか、そう思った。私の思考はあながち間違っていなかった。山脇は社会哲学の知見をたくさん出して来るし、本書が社会哲学をベースにしているのは間違いない。だが、公共哲学とは、公と私をめぐる哲学であり、かつ従来の公と私には回収されない新たな領域としての「公共」をめぐる思想なのであるから、それは社会哲学の一つの分野として、「公共哲学」と名指されてしかるべきものである。私が危惧するのは、公共哲学という応用的で領域横断的な学問に議論が集中してしまい、基礎にある社会哲学がないがしろにされてしまう危険性である。公共哲学は常に社会哲学との地味な照らし合わせを決して忘れてはいけないだろう。華やかさに酔ってはいけない。