人は40歳くらいになるとそれまでの人生を振り返り、「自分の人生はこれで本当によかったのか」「自分の人生は空虚だったのではないか」という疑念に襲われることがよくあるらしく、この時期を「人生の正午」と呼ぶ。ちょうど人生の真ん中の折り返し地点で自分の人生を俯瞰的に眺めてしまうのである。私はまだ30代ではあるが、早めに人生の正午がやってきたので自分の人生の振り返りをしたいと思う。自分の人生を簡略化するといくつかの対立軸が見えてくる。
1 理想と現実
私の人生は理想を抱いては現実の前で挫折し、それでもより良い方向へ歩いていこうとする選択の連続だった。学問について理想を抱いていたが、就職難という現実があり、結局就職をしながら空いた時間で勉強をするという生活に落ち着いた。社会について理想を抱いていたが、理不尽という現実があり、結局よりよい社会を築くために日々努力するという生活に落ち着いた。
こうあってほしいという理想を掲げながら、そうではない現実を前にしていかに和解点を見つけていくかという探索の連続だったと思う。
2 孤独と連帯
私の人生は、人間の絶対的な孤独を感じながらも、同時に人間が社会的存在でもあるという両義性の中で引き裂かれていた。孤独な少年時代を過ごし、多くの人と交わる青年時代を過ごし、そんな中で孤独とも連帯とも折り合いをつけること。人間は孤独でも生きられないし、かといって孤独を捨て去ることもできない。その間の揺らめきがあった。
もっと抽象的に他者との関わり合いの問題といってもいいかもしれない。自分に先立って存在する他者と孤独な自分との応酬。
3 個人と社会
私の人生にとって社会というものの存在は大きい。社会の発見は割と遅くやってきたが、この得体のしれない社会というものの中で個人がいかに生き延びていくかということは、社会人として生きる中で一番の課題となった。読書の比率も圧倒的に社会に関するものが多くなり、社会と実存との関わり合いが自分の思索や創作の大きなテーマとなった。
抽象的に言うならば、三人称と一人称の関わり合いの問題であり、この社会という三人称の中に謎や神秘を見出すようになったということである。
4 虚構と真実
私の人生にとって演技というものは重要な位置を占めている。人はみな本音と建前を持っている。特に社会人として生きる場合、虚構としての社会的存在に自らがならなければならない。その虚構というものと真実の自分というものがどう関わるか。虚構はいつか真実になり、虚構は真実に引き寄せられ、とにかくこの演技の舞台では複雑な事態が生じている。
また、私は創作者として常々虚構の文章を書いている。その虚構の文章と自らの実存の関わり合いは尽きせぬテーマである。