社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

マイケル・ローゼン『尊厳』(岩波新書)

 

  尊厳とは何かについてカントにさかのぼって考察している重要な本。

 国家が個人の自由を制限するとき、他者の尊厳を敬うことで威厳ある行動をする義務を国家は課している。尊厳が権利の根拠となるのは、尊厳がどのように生きるかを個人が決定する自律的な権利だからである。人々を常に手段としてではなく目的として扱わなければならないというカントの格率により、尊厳は不可侵のものとなる。カントは人格を備えた自律的存在にのみ尊厳を認めたようだが、著者はさらに遺体や胎児にも敬意をもって対峙することを要求している。

 世界の中の多くの国において尊厳は権利の根拠とされ、法制化されているが、そもそも尊厳とは何であり、何故に権利の根拠となっているかについての理論的根拠については多く語られてこなかった。本書はそのような原理的問題について、カントを援用しながら答えようとしている。記述は割とすっきりしない部分が多いが、重要な問題を扱った重厚な作品であり、尊厳について考える人にとって非常に有効だと思われる。

岩崎育夫『アジア政治を見る眼』(中公新書)

 

  アジア諸国がほぼ一様に開発独裁から市民社会へという道筋をたどったことへの理論的説明がなされている。

 独立直後の東アジア諸国は政治、経済、社会、国際関係、安全保障のすべてにわたる課題に直面した。中央集権化を軸にした権威主義体制(開発主義国家)はそれらの課題を解決するために極めて都合がよく、国家統合、社会統合、経済発展を可能にした。

 開発主義国家の形成による経済成長の恩恵を受けたのが中間層だった。80年代になると都市中間層が参加するNGOが活発化する。中間層とNGO、それに付随して学生、労働者、宗教団体、野党などが最活性化し、抑圧されていた市民社会の領域が拡大し、開発主義批判や民主化運動が本格化した。

 本書は、東アジア諸国の戦後の歴史を振り返り、それらの多くが開発主義独裁から市民社会へ、という流れで動いていることを確認し、そのダイナミクスを説明している。日本もまた明治維新の時代には同じような経歴をたどっており、歴史の運動の一つのモデルとしてそういった流れが観測できる。東アジア各国の歴史を丁寧になぞりながら、その具体的事実をもとに理論を構築する手法は鮮やかで、極めて読みごたえがあった。

中原淳『転職学』(KADOKAWA)

 

  転職を科学的に分析した画期的な本。

 転職のメカニズムは、「D×E>R」であり、DはDissatisfaction(不満)、EはEmployability(転職力)、RはResistance(抵抗感)である。つまり、不満が大きく転職力が大きく、それらが抵抗感を上回るときに転職が起こるのである。

 不満としてはハラスメントや待遇など多岐にわたり、性別によっても重視する不満が違う。だが、転職後の満足感は、不満をより肯定的な動機(キャリアアップなど)へと転換したほうが大きい。転職力には知識・スキル・資格といったステータスとしての転職力と、自己をどれだけ深く正しく認識できるかといったアクションとしての転職力があり、それらを総合して考慮する。抵抗感とは変化することへのためらいであり、配偶者の抵抗であることもある。

 転職した際には、学習棄却(アンラーニング)が必要であり、それまでに学んだことをある程度捨て、新しい環境における新しいルールなどを柔軟に吸収することが転職後の満足度につながる。そして、そのような柔軟性は日頃から学びを行っている人ほど高い。

 さて、我々の世代になると定年70歳と言われており、そうするとやはり一度や二度の転職は避けられないのかもしれない。また、転職でなくとも、大きな組織内での内部異動はときに「転職」と言っていいほどの変化をもたらす。そのような大きな変化をもたらす内部異動に適応するためにもこの転職学の知見は役に立つ。一番大事なのは日頃から学習し、柔軟性を身につけておくことである。柔軟に捨てるものは捨てていかなければならない。

原田曜平『Z世代』(光文社新書)

 

  Z世代とはおおむね1990年代中ごろ以降に生まれた世代。

 Z世代が注目されるのは、①平成の高齢化によって生まれた高齢者信奉が崩れ、企業やメディアの視線が若者に向けられたこと、②デジタル生活時代のもっとも川上にいる存在として注目されたこと、③新型コロナ時代にデジタル化が加速し、Z世代の社会的プレゼンスが上がったこと、④人材不足により企業はZ世代の確保に躍起になっていること、などによる。

 消費離れと同調圧力によって特徴づけられるゆとり世代に比べて、Z世代は「チル&ミー」により特徴づけられる。少子化による人手不足により、Z世代はまったりと過ごす「チル」という価値観を強く持ち、またスマホ第一世代として発信型SNSを使うことで自己承認欲求と発信欲求を強く持つようになった。

 本書は、「最近の若者」であるZ世代を徹底的に分析した好著である。現代の若者の特徴を的確にとらえ、Z世代の心をつかむやり方についても書いてある。変化が激しく価値観が流動的・多様的である現代において、その先端を行く若者の価値観を知っておくのは重要である。なぜなら時代の価値観を最も体現しているのが若者だからだ。若者について知ることにより、職場や家庭でのジェネレーションギャップが無駄に生じるのを回避し、若者とうまく付き合うことができる。上からの価値観の押しつけは絶対にやってはいけないことである。若者に寄り添い、ともに時代を作っていく気概が必要であろう。

ラリー遠田『お笑い世代論』(光文社新書)

 

  お笑いの戦後史を簡潔に述べている。

・お笑い第一世代:ザ・ドリフターズ萩本欽一

 テレビという新しいメディアに合わせた新規性のある「テレビ芸」を作り出す。

・お笑い第二世代:ビートたけし明石家さんま

 プロの芸人があえて素人のようにふるまうことで斬新でテレビ的な笑いを生み出す。

・お笑い第三世代:とんねるずダウンタウン

 子弟制度から解放された最初の世代。テレビを自分たちの遊び場にする。

・お笑い第四・第五世代:ナインティナインロンドンブーツ1号2号

 コント番組が減りバラエティ番組が増えた時代にいち早く適応した。

・お笑い第六世代:キングコングオリエンタルラジオ

 テレビの影響力が下がってきた時代にテレビで挫折し、テレビとは別の場所で活動。

・お笑い第七世代:霜降り明星、EXIT

 地上波テレビは数ある選択肢の一つにすぎず、芸人の生き方も価値観も多様に。

 本書は、テレビとともに歩んできた戦後お笑い界の通史を提示した価値ある書である。著者については、お笑い評論家としてデビューした当時から注目していたが、このような体系的な書物をまとめたことについて、心から祝意を示したい。本書はお笑いの通史の一つの里程標となることが間違いない。バランスの取れた記述と鋭い批評意識に貫かれていてとても良かった。