社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

林望『習近平の中国』(岩波新書)

 

 習近平を中心として展開される中国現代史。習の前の胡錦濤国家主席の代では、先代の江沢民院政を敷くことで中国共産党内部の軋轢を生み出していたため、胡錦濤は習に代を譲るときに完全に引退した。習に権力が集中する構図が出来上がった。習近平は「二つの百年」という国家目標を持っている。中国共産党成立100周年である2021年までに、庶民がまずまず余裕のある暮らしを送れる「小康社会」を実現するという目標。そして、中華人民共和国成立100周年である2049年までに、中国がさらなる高みに立ち、「中華民族の偉大な復興」を完成させるという目標である。とはいっても、中国はもはや経済成長が鈍化するフェーズに入っており、民主化を求める市民の声も多い。そんな中どこまで中国の人々の暮らしを向上させるかは簡単な課題ではない。

 本書は中国現代史の本であり、最近の中国をめぐる動向を知るうえで簡易に読める入門書の一つだ。あっという間に国際社会の中で存在感を増した中国に関しては、これからもよく動向を観察していかなければならないだろう。中国は人権問題や領土問題などを抱えている困難の多い国でもある。そんな中での習近平の動向は注目される。中国社会はとても一枚岩などではなく、民主化を求める市民の層は結構厚いのではないかと思われる。中国政府は民主主義などの正統性を持たない国家であり、そのあたりの脆弱性をどう克服するかも気になる。いずれにせよ、読んでよかったといえる本だ。

離席のススメ

 職場で仕事をしていても、人間の集中力などしょせん限界がある。ものの本によると人間の集中力は15分単位でしか持続しないらしい。深い集中力は15分が限度で、15分単位で集中ができるとのこと。これは私も仕事をしていて実感するところで、だいたい30分くらい集中して仕事をすると集中力が途切れることを感じる。

 集中力が途切れた時、そのままダラダラと仕事をしようとしても質のいい労働はできない。そういう場合はいったん集中力をリセットするために離席するといい。離席はこのような集中力のリセットという効果があるが、それ以上に重要な健康上の効果がある。

 イギリスでは座りすぎについてガイドラインを作っていて、就業中に少なくとも2時間は立ったり歩いたりする時間を作るべきとしている。座りすぎは肥満・糖尿病・高血圧・脳梗塞・がんのリスクを高めることが研究によって明らかになっているからだ。

 就業中に離席が多いと仕事を怠けていると思う人もいるようだが、集中力のリセットや病気のリスクの低減のために離席は必要だということを理解した方がいい。長期的に見て、30分ごとや1時間ごとの離席は従業員にとって業績上・健康上の利益をもたらす。もちろん、離席しておしゃべりしたりして単純に怠ける従業員は問題である。だが、集中力のリセットや健康の維持のため離席することはむしろ奨励すべきである。

 それだけではない。例えばADHDの人などは離席が多いだろうし、頻尿の人も離席は多いだろう。そういう人に怠慢のレッテルを張るのはあまりにも酷だ。従業員それぞれの事情を考慮して個々別々の対応をするべきである。

 いずれにせよ、労働の現場においては些細なことまで規律するのは好ましくない。些細なところまで監視されていると思うと従業員は窮屈に感じ、むしろ仕事の効率は下がっていくだろう。それよりも従業員それぞれの個性や考え方、働き方の多様性を重んじて、一律に規制することはやめた方がいいと思う。

 

中西嘉宏『ロヒンギャ危機』(中公新書)

 

 ミャンマー少数民族であるロヒンギャに対するジェノサイド疑惑に関して丁寧に叙述している。ロヒンギャとはラカイン州に住む無国籍のムスリム少数民族である。植民地期に流入した少数民族は、ミャンマー人にとって「国民の他者」として疎外されてきた。そして、ミャンマー軍事政権ではロヒンギャは安全保障上の脅威として弾圧されてきた。2010年代に進んだ民主化の波は人々に自由を与える一方宗教上の対立も生み出した。そして2017年にはロヒンギャ武装組織がミャンマー軍部の施設を襲撃し、その報復としてミャンマー政府はロヒンギャを掃討した。国連や国際司法機関はこの掃討作戦をジェノサイドとして国際法上の罪に問おうとしている。

 アジアといってもそれほど身近ではないミャンマーのジェノサイド事件であるが、事件の重大性を考えるとそんなに他人事とは思えないし、世界各地で起こっている宗教上の対立について考える上で非常に参考となる事例である。異質なものたちを排除しようという人間の暴力的性質がここまで大掛かりに発展してしまうのは極めて異様である。ユダヤ人問題にしろ、民族的迫害については深く思考しなければならないだろう。

坂倉昇平『大人のいじめ』(講談社現代新書)

 

 本書は職場におけるいじめやハラスメントについて、豊富な具体例をもとにその背後にある構造を探っている。最近のいじめは、過酷な労働環境の下で起こることが多く、職場全体が加害者化し、企業もいじめを放置することが多い。最近のいじめは、厳しい労働環境の下で働かせ続けるため、同僚までもが自発的に行うほど浸透した労務管理システムであるかのようだ。過労職場では、いじめは解決コストの回避となり、ストレス発散によるガス抜きとなり、職員を抑圧することで仕事のことしか考えさせなくする効果がある。また、いじめは教科書的な理想的な働き方をする人間に「現実的」なやり方を教え込む矯正の役割を果たし、矯正されない「不適合」な職員を排除するために用いられ、従順でない職員をいじめることで他の職員への見せしめとなる。

 本書で挙げられる具体的ないじめの事例は目を覆うほど残酷なものばかりだ。このようにいじめがエスカレートしていくのは、加害者の資質の問題だけでなく、職場の構造が背後としてあるというのが本書の主張だ。特に、いじめが職員による自発的な労務管理システムとして機能しているとなると、これを根絶するのはなかなか難しいと感じる。そして、いじめは代々受け継がれてきたものであり、職場に限らず日本社会全体に同じような構造があることに気付かされる。いじめは解決の難しい問題だと改めて思った。

樹村みのり『冬の蕾』(岩波現代文庫)

 

 日本国憲法のもととなったGHQ草案に男女同権の条項を盛り込んだベアテ・シロタの簡単な伝記。子どものころ日本で暮らした時に感じた日本人女性の地位の低さへの違和感が主な原動力になっているような書きぶりであるが、実際はもっと複雑だったのだろう。GHQの民政局でたまたま若い女性ということで男女同権のパートを受け持たされただけかもしれない。様々な外国の憲法などを参考にして、ベアテの草案はもっと内容豊富だったようだが、現在の憲法24条にはそのエッセンスしか残されていない。ベアテの両親とのつながりについてもしっかりと書かれていて興味深かった。

 形式は漫画なので、情報量もそれほど多くはなく簡単に読み流せる感じである。だが、憲法草案で男女同権の条項を作成したベアテの存在というのは割とよく知られているが、彼女がどんな人生を送ったについては知らない人が多いのではないだろうか。そういう盲点のようなところを突いてくるのが素晴らしい。読み終わったあとさわやかな戦慄が走った。