社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

アンジェラ・ダックワース『やり抜く力』(ダイヤモンド社)

 

 努力の重要性を訴えている本。人生の成功は「やり抜く力」で決まる。知能や成績が良くても、やり抜く力がないと成果を上げることができない。才能×努力=スキル、スキル×努力=成果、である。才能に努力を二回かけてようやく成果となる。やり抜く力は情熱と粘り強さからなっており、目的意識を持つことが重要である。やり抜く力が強い人ほど幸福であり、希望を持っている。

 「どうせ自分には才能がないのだからいくらやっても無駄だ」そう諦めている人は多いはずだ。ところが、実験の結果、良い成果を上げている人は生まれつきの才能よりも後天的な努力を継続させている人だった。これは世の中の多くの悩める人への朗報である。「努力は報われない」とあきらめている人は多いが、研究の結果「努力は報われる」ことが明らかになったのだから。だが、このやり抜く力を身につけるのも一種の才能なのではないかと言われるとなかなか厳しい。努力もまた才能なのかもしれない。

東畑開人『居るのはつらいよ』(医学書院)

 

 デイケア施設のフィールドワーク。単なる就労記や体験記と異なるのは、著者が批評的視座を持つ理論的知性であり、現場で実際に働くことにより、その現場を理論的に把握していくからだ。批評的知性が現場に入り込むということは、現場をこのように発信することや、現場を理論的に理解する、また批評的知性自身が現場から大いに学ぶという意味で大きな意義を持つ。

 インテリの社会参加などがかつて叫ばれたが、インテリこそ象牙の塔にこもっていないで現場へ繰り出すべきなのだ。それはインテリにとって強烈な刺激になり、インテリの大きな成長をもたらし、またインテリがその現場を批評的に記述することで現場の豊饒化ももたらす。理論をよく知る人間こそ、その理論が適用される現場で理論の有効性や無効性を確かめることができるのである。批評的知性が現場に入り込むことによる場の豊饒化という良い側面を見ることができる本である。

私たちは疲れている

 一定以上勉強している人なら、多くが「自律した個人」として生きようと思っているだろう。そして、「成熟した大人」として生きようと思っているだろう。だが、日々労働しながら生きていると、このよう自律や成熟に疲労を感じることがないだろうか。

 何か職場で理不尽なことがあったとする。すると、自律した大人であれば、それについて自らの意見を形成し、職場に訴えかけるなどの行為をするかもしれない。だが、そういうのはとても疲れる。それよりも多少の理不尽についても我慢して唯々諾々と仕事をしていた方がかえって楽だったりする。常識や場のルールにとらわれず、理性の力で問題を解決していこうとするのは近代的個人のすることかもしれないが、我々労働者はそういった自律的行為をするにはあまりにも疲れ切っていないだろうか。「カイゼン」は事務処理などについて、自分の権限の及ぶ範囲でなら奨励されるが、それを超えて管理職に働きかけるなどするととても疲れる。

 我々労働者はとにかく日々体力を削って膨大な仕事をしなければならない。その膨大な仕事に疲れ切っていて、近代的個人の本懐であるところの「不条理との戦い」や「人権の主張」などをしている余裕がない。そんなことをしているとかえって組織の側からマークされ、悪い評価を下される恐れすらある。

 我々労働者は個人としてはとても弱い。個人として組織と戦ったところでつぶされるのが目に見えているし、疲労するのは目に見えている。ある意味、自律や成熟を「使い分ける」ことが本当の自律や成熟なのかもしれない。自分の力の及ぶ範囲内、権限の及ぶ範囲内であれば、そこでは自らのポリシーを貫き体制を改善していけばいい。そこでは自律した大人としてふるまう。自分の力の及ばないところや権限の範囲外については、もはやただの白痴に近い言うことを聞くだけの搾取される労働者でいい。

 私たち労働者は日々の仕事や家事育児などで疲れ切っている。その上さらに問題を抱え込む余裕はない。ではあっても、「自律した個人」「成熟した大人」でありたい。それであるなら、自らの人格を使い分けるしかない。自らの掌の上でなら自律した大人、その範囲外であれば隷属する労働者。その使い分けができるということが、本当の意味での「自律した個人」「成熟した大人」ではないだろうか。

将基面貴巳『愛国の起源』(ちくま新書)

 日本語の「愛国」の語源となったパトリオティズムについて歴史的に解読している本。パトリオティズムには、自国への愛という狭義の愛国の側面もあるが、同じ理念や制度を共有する共同体への愛というコスモポリタンな側面もある。古代ローマキケロにおいて、すでにこの二種類のパトリオティズムが分離されており、前者には自然的祖国、後者には市民的祖国が対応する。フランス革命後の保守反動後、バークらによって近しいものへの愛を基本とする自国への愛が強調され、現在の日本の保守的な「愛国」に至る。なお、現在においても、自由で平等な個人が公正な共同生活を営むために市民が民主的な政治文化を絶えず反省するルールとプロセスを愛国的忠誠心の対象とする「憲法パトリオティズム」、美しく豊かな自然環境を守るという「環境パトリオティズム」があり、これらはいずれも国境を越えたコスモポリタンな性格を持つ。

 愛国というと先入観が強くて私などはかなり偏見を持っていたのだが、そういう先入観を覆す好著である。愛国というものを硬直的なものとしてとらえず、コスモポリタンな次元に開いていく可能性を示唆する本書は、これからのグローバルな社会へ参入する私たちにとって重要な書物ではないだろうか。偏狭な「愛国」からより広範な「パトリオティズム」へと、我々は変化を迫られているのかもしれない。

諸富祥彦『「本当の大人」になるための心理学』(集英社新書)

 

 ヴィクトール・フランクルの研究者による人間の成熟論。成熟した人間は単独者として生きている。自立して、他者からの承認を得なくとも自らを自然に肯定できる人間として生きている。そして、成熟した人間は変わることと変わらないことの見極めができて、変わらないことについて諦めることができ、変わることを変えることができる。その他、成熟した人間は現実を受容する、自発性がある、一人の時間を持つ、感性に富んでいる、創造性がある、常識にとらわれないなどの特徴を持つ。

 大人になっても不安や空虚にとらわれている人は多いだろう。そういう人はまだ十分に成熟していないのだという。単独者として自律的・創造的に生き、自己を肯定できること、幼い夢をあきらめそれでも前向きに生きること、現実を直視すること。こういうことが人生の積み重ねの中で習得されていき、人間は成熟するのである。感性の重要性も書かれていてとてもよかった。非常に勉強になった。