社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

兼本浩祐『発達障害の内側から見た世界』(講談社選書メチエ)

 

発達障害の内側から見た世界 名指すことと分かること (講談社選書メチエ)

発達障害の内側から見た世界 名指すことと分かること (講談社選書メチエ)

  • 作者:兼本 浩祐
  • 発売日: 2020/01/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  精神医学の現場で起こる「診断」することについての哲学的考察である。本書では「分かる」ことを説明と了解に分けている。説明するというのは、特定の物理的特性から科学的に説明することや、対象についての経験の束や他者と共通する名指しによって経験的に説明することを含む。それに対して了解というのは、対象との終わりのない対話によって単なる説明以上に相手を分かることを指す。精神医学の診断にあたっては了解の方が望ましいが、ときには了解が不可能な場合もある。そもそも健常人からは了解不能なような症状などについては、科学的な説明による診断を行わざるを得ない。

 確かに精神医学の現場は難しい現場である。他人の心を扱うというのに、それを風邪薬を処方するような仕方で機械的に扱われたのでは患者には不満が残る。患者としては、簡単には名指されない自分の症状というものを、名指されないまま、その都度その都度の差異を受け入れてもらって了解してもらいたい。医師はそこに寄り添うようにしないと正しい診断はできないのだろう。なかなか面白い読書だった。

大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに』(星海社新書)

 

  ルーマニアペシミストであるシオランを紹介した本である。シオランは怠惰を奨励した。なぜなら怠惰であれば行為も存在も拒否するため悪事を働かないからである。またシオランは自殺を肯定的にとらえる。自殺は追い詰められた時の逃げ場であり、いつでも自殺できると考えることで人間は自由になれる。そしてシオランは憎しみについても肯定的にとらえる。憎しみは人を生き生きとさせ、対立や競争へと人を導く。次にシオランの文明観について。生き生きした民族は野蛮で自らの価値観を他に押し付け繁栄する。それに対して衰弱した民族は自由で寛容である。またシオランは、人生を苦悩と挫折と失敗に満ちたむなしいものだと考えている。

 シオランは人生の一つの側面を切り取ってくる。なるほど彼の言うことは一面的には真実だ。だがそれだけではなく人生には別の面もある。すぐさまそのような反論が可能だ。また、シオランは怠惰を奨励する一方で生き生きとした憎しみも奨励し、見えやすい矛盾がある。だが、平凡に日常生活を送っているとなかなか思いつかない視点を持っているため、彼の言葉に気づかされることは多い。面白い思想家である。

ジュリエット・B.ショア『浪費するアメリカ人』(岩波現代文庫)

 

  所得の高い仕事に就くとたいてい激務であり、私生活の余裕があまりとれない。だが、私生活の余裕を取ろうとすると所得の低い仕事に就かざるを得ない。我々の人生において時間を取るかお金を取るかという問題は重要であり、低い所得でやりくりしながらも家庭生活や趣味を満喫するか、それとも遮二無二働きそのお金でブランド品を買ったりいい車に乗ったりするか、それはその人の生きざまを反映しているといえよう。

 ジュリエット・B.ショア『浪費するアメリカ人』によると、90年代のアメリカにおいては、人々は「ワークアンドスペンドサイクル」、すなわち浪費するために長時間労働するサイクルに巻き込まれていた。人々はステイタスを求めて消費し、良い家や良い車、ブランド品を買うためにハードな仕事をこなさなければならなかった。だが一方で、その頃でもプライベートな時間を大事にする「ダウンシフター」が生まれつつあり、低所得でも家計をやりくりし、余裕のある生活を送っていた。

 自らの職業を選択する際に、所得を重視するかそれとも低ストレスや私生活を重視するかは大きな分岐点となる。現代日本においては低所得かつ激務というブラック企業も現れているが、それは論外として、自らの人生の価値をどこに見出すかは選択を大きく左右する。少なくともこれからは昔のように見栄を張る必要はないと思う。高級車を乗り回して高級ブランドに身を包みということに魅力を感じる若者はだいぶ減ってきている。現代の若者の価値観としては、それよりも親密なパートナーや仲間といかに良い思い出をつくれるかの方が重要なのだ。そうするとおのずと職業の選択も、激務ではなくほどほどの量の仕事で、高所得ではなくほどほどの所得で満足するようになってきているのではないか。

宇野重規『未来をはじめる』(東京大学出版会)

 

未来をはじめる: 「人と一緒にいること」の政治学

未来をはじめる: 「人と一緒にいること」の政治学

  • 作者:宇野 重規
  • 発売日: 2018/09/27
  • メディア: 単行本
 

  本書は中高生を相手になされた政治学の講義の記録である。「異なる者同士が共にいること」を政治の出発点として、共にいることの諸態様、友人関係であるとか弱いつながりであるとかについて論じたり、異なる者同士の意思決定の在り方、民主主義や選挙や多数決以外の意思決定方法などについて論じたりしている。

 全般的に、現代の世界や日本が直面している状況を巧みに織り込みつつ、社会がどうなっているのかという知識も詰め込みながら原理論にアプローチしている。文体は非常に読みやすく、難しい言葉を極力使わず、聴くものに寄り添う形になっている。

 中高生が教室に集まるだけで発生する政治というものから一国の政治に至るまで、その講義の内容はダイナミズムに満ちていてとても面白い。政治学の知識を持っている人でも、改めて政治の第一歩から始めることができる。良書である。

柴田久『地方都市を公共空間から再生する』(学芸出版社)

 

地方都市を公共空間から再生する: 日常のにぎわいをうむデザインとマネジメント

地方都市を公共空間から再生する: 日常のにぎわいをうむデザインとマネジメント

  • 作者:柴田 久
  • 発売日: 2017/11/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  公共工事はバラマキであるとか不平等であるとか箱モノを作るだけとか批判されてきたが、それは公共工事によって生み出される公共空間が十分魅力的でないことからくるのだと思う。本書は様々な公共空間の創出に実際に携わった著者がその実践例を多く紹介している本である。

 公共空間整備のポイントとして、柴田は①日常性、②波及性、③継続性の三つを挙げる。日常性とはいかに普段から使われる場所となりうるか、波及性とは整備された施設を拠点としながら周辺への回遊が促されること、継続性とは維持管理が可能なように設計することである。そのうえで柴田は、景観工学の知見を取り入れる。魅力ある景観が眺められる場所が用意されることで、そこへの来訪者が増え、賑わいや経済的活性化につながる。

 本書を読んで、公共空間を整備するときにこれだけのことが考慮されているということに驚いた。また、地域を巻き込んだ綿密な打ち合わせやワークショップを行い、地元の意向を取り入れた町づくりが行われていることにも驚いた。公共空間の整備に当たっては、それが地域を活性化する起点となるような多彩な努力が必要不可欠なのである。