社会科学読書ブログ

社会科学関係の書籍を紹介

前野隆司『感動のメカニズム』(講談社現代新書)

 

  感動の構造を分析し、それを商品などの開発に生かそうとしている本。人々の幸福は感動と密接に結びついている。「モノ消費」から「コト消費」へと転換している現代社会では、感動を通して人を幸せにする製品・サービスが求められている。

 商品やサービスなどが我々に与えてくれる感動は、構造分析することができる。それが「感動のSTAR分析」である。SはSense、五感で感じた後に感情の高ぶりとして感動。TはThink、知見の拡大として感じた後に感情の高ぶりとして感動。AはAct、体験の拡大として感じた後に感情の高ぶりとして感動。RはRelate、関係性の拡大として感じた後に感動。このような分析により、どのような感動を与えたいかによって製品・サービスをデザインすることができる。

 本書は感動の構造を分析することで、感動がどのようにして生まれているかを明らかにしている。この分析は優れて実践的であり、自分が何かに感動したとき、それがどういう感動かわかるし、自分がだれかを感動させたいとき、その感動をデザインすることができる。感動のない人生はつまらない、という基本思想には強く共感する。

小室・天野『男性の育休』(PHP新書)

 

  男性の育休のメリットについて書かれた本。男性が育休を取得する、つまり男性の家事・育児時間が増加すると、女性の産後うつへの対策にもなるし、第二子が生まれる確率も増加し、日本の少子化対策となる。また、育児という違った領域のスキルを身につけることは、男性の内部の多様性を増し、仕事の効率性を増し、男性の創造力を増すことになる。育休を取らせてもらった男性は企業へのエンゲージメントやロイヤリティを高めるし、職員が育休を取ることで周囲の部下や上司の成長の機会を提供する。これだけいいことづくめの男性の育休だが、いまだ大きな定着には至っていないため、企業には育休取得対象者に取得する権利があることを説明するよう法的に義務付ける必要がある。

 男性の育休はいまや当たり前のようになっているのは私の周囲だけだろうか。私の職場でも今年育休を取った男性職員がいるし、前の職場では一年間育休を取った職員もいた。だが、それがキャリアに与える影響や収入の問題などからいまだためらう人は多いようだ。そのようなためらいを克服するための義務付けを求めているのが著者たちであり、実際政府の民間アドバイザーを勤めている。これからどんどん男性の育休が普及していき、家族・企業・経済とも活性化していくといいなと思う。

 

 

仕事でのリフレッシュ

 人間の集中力は60分から90分しかもたないと言われている。それ以上仕事を続けても効率が悪く無駄に疲れるだけだということだ。だから、60分毎くらいにリフレッシュをする必要がある。私は事務職に就いているが、事務職はとにかく座りっぱなしでパソコンをいじり続ける仕事である。座りっぱなしは健康によくなく、各種疾病の発症割合を上昇させることが知られている。だから、仕事でのリフレッシュは集中力の回復と健康の維持という二つの機能を持っているのだ。

 私は仕事をしながら定期的に離席するようにしている。だいたい60分に一度くらいは離席する。それは、トイレ休憩であったり、売店への買い物であったり、お茶の淹れ直しだったりする。だから、仕事をしながら一日3000歩くらい歩いている。もちろんこの3000歩には、プリントアウトしたものを取りに行ったりコピーに立ったり資料を取りに行ったりも含むのであるが。そのようにして、低下した集中力を回復すると同時に、座りすぎによる健康リスクを回避しようとしている。

 現代の事務職は科学的・合理的に働くべきだと考えている。科学的・合理的に集中力を上げて作業効率を上げていくのが望ましい。そして、作業効率を上げて短時間で成果を上げ、なるべく残業をせず家庭や趣味の時間を大事にするべきだと考えている。そのためにもまずは60分に一度の休憩からである。小さいところから業務の効率化は始まるのである。

 

協力について

 個人の能力と経験には限界がある。例えば私は料理が苦手であるし、そもそも男だから子供が産めない。それに対して、例えば配偶者は料理が得意で、女だから子供が産める。私と配偶者が家庭を作ることにより、料理はスムーズに作られ、子供が産めるようになる。一人ではできなかったことが家庭という共同体を作り配偶者と協力することでできるようになる。また、私の人生経験などたかが一人分の人生に応じたものに過ぎない。それに対して、配偶者と様々な対話をすることにより、配偶者の経験やものの見方が私の中に入り込んでくる。そのことによって、私は二人分といかないまでも1.5人分くらいの人生を生きることができる。我々は協力することでできることを増やし、自らの内部の多様性を増すことができるのである。
 同じようなことは職場でも言える。例えば私が新しい部署に異動したとする。私はその部署の仕事について何もわからない状態である。だがそこで先輩が私のわからない点について教えてくれることで私の知識とスキルは高速に進化する。私が一人で調べごとをしながらやっていたら途方もなく無駄な時間と労力が必要だった仕事が、先輩という教育係のおかげで少ない時間と労力で済ませることができるようになる。また、職場の先輩は私とは違ったものの見方を持っているかもしれない。仕事についても私よりもより深く経験しているから、先輩の失敗談や成功談を聞くことで私は自分の経験を拡張することができる。職場でもまた協力することで、人は自らの能力と経験の限界を超えていくのである。
 最近は家庭を作らない人も多いし、仕事に就かない人も多い。家庭を作ったり仕事についても孤独に過ごし他者と協力することを拒む人も中にはいる。それもまたその人の人生だが、協力することは社会から求められてもいる。あなたと協力すれば私はもっと仕事ができるし、もっと視野を広げることができる。そう思っている人は世の中にたくさんいる。そういう社会からの要請を拒んで孤立するよりは、進んで社会に参画し、自らの能力や経験を広げると同時に、他者の能力や経験を広げる手助けをするのがよいと思う。

 

吉田徹『アフター・リベラル』(講談社現代新書)

 

  現代世界においてはリベラル・デモクラシーが後退している。リベラル・デモクラシーは70年代をピークとする分厚い中間層に支えられていたが、90年代のグローバル化による産業構造と雇用市場の変化により将来を悲観する中間層が増えることで権威主義的なニューライトやポピュリズムが台頭してきた。

 戦後政治は「保守対左派」という対立軸から「権威主義対リベラル」という対立軸へと移行していった。左派が文化的・価値的にリベラルへ転じることで、保守もまた文化的・価値的リベラルに接近する「リベラル・コンセンサス」ができあがった。リベラル・コンセンサスによる政治は、これに取り残された経済的かつ社会文化的に反リベラルの人々を生み出していった。

 国と国とを歴史認識問題が切り裂いている。共通の歴史は認識と未来の共有の土台となるものだが、逆に人々を分断する要因になっている。現代ではアイデンティティを喪失した人々が空白のアイデンティティを埋めるために宗教を利用するという「ポスト世俗化」の傾向が出てきており、ヘイトクライムやテロを生んでいる。個人主義は他人との協働の契機を見出さないとかえって弱い個人、非民主的個人を生み出してしまう。

 本書は、リベラリズムが後退している現代社会において、それがどのような理由でどのような過程を経てどんな問題をはらんでいるかについて分厚く論じている。新書レベルを超えるような重厚な政治学の書物であり、非常に読みごたえがある。これはぜひ政治的立場の別を超えて読んでもらいたい本である。