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疲労との付き合い方

 疲れたら休むしかない。そうしないと病気になってしまう。体調を崩す前にきちんと休むのが一番賢い疲れのマネジメントだ。疲れを無視して無理に働いたりすると様々な体調の悪化をもたらす。それは高血圧だったり、憂鬱だったり、腹痛だったり、頭痛だったり、めまいだったりするかもしれない。そして、疲れやすさには個人差がある。体力のある人もいれば私のように体力のない人もいる。体力のない人ほど頻繁に休まなければならない。

 だが、体力のある人は体力のない人の体調不良が理解できないことが多い。ある意味、疲労との付き合い方で一番重要なのが、体力のある人の無理解との付き合い方である。体力のある人から見ると、体力のない人が疲れて頻繁に休むのを「ズル」「怠け」「根性がない」「やる気がない」などとネガティブにとらえてくるのだから困るのである。

 ましてや、家庭において負担の少ない人は家庭において負担の多い人の疲れやすさを理解できない。家庭において家事育児介護などをやっている人はそれだけで疲れやすいので、当然人並みに働いていればその分疲れる頻度は多い。だが、家庭において負担の少ない人は、家庭において負担の多い人の苦労や疲労が理解できない。

 疲れたら休むのは当たり前だ。疲労との付き合い方はそれに尽きる。だが、問題なのは、体力のある人や家庭での負担が少ない人の無理解との付き合い方の方である。これは本当に理解しえないと思った方がいい。私の今までの経験でも、自分の疲労が理解されたことがあまりない。理解しえないのを前提に、自分は家事育児介護の負担で大変なのだ、自分は体力がなくて大変なのだ、そういうことを主張していくほかない。分かり合えなくても、形だけのコミュニケーションはできる。ひょっとしたら相手もわかってくれるかもしれない。それを期待して、主張を続けるほかないのではないか。所詮理解されないとはいえ。