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法律学の意味論?

 刑法典は、ひとつの辞書だと考えてみる。例えば刑法235条は、「窃盗犯」を「他人の財物を窃取した者」と定義しているのである。ある人が「窃盗犯」であるかどうかは、「他人の財物を窃取」したかどうかで決まるのである。

 だが、刑法典の規定は抽象的で、ある人が「窃盗犯」であるかどうかを、そのままでは明確に決めることができない。だが、ある人が「窃盗犯」であるかどうかは、その人の人権を侵害する(刑罰を科する)かどうかの決定とかかわっているので、それについては明確な基準が要求される。そこで、学説は「他人の財物を窃取した者」をより詳細に限定していこうとするのである。刑法典は一つの辞書であるが、それは学説によって吟味されることによって、より詳細な辞書へと変貌するのである。

 さて、刑法典は「窃盗犯」の意味を規定している。とすると、そこには言語学、特に意味論の成果を持ち込むことができるのではないだろうか。

 例えば、素朴な意味論として「チェックリスト意味論」というものがある。これは、例えば「woman」の意味は「+human」「-male」「+adult」という3つの意味素性(semantic feature)から成り立つと考えるのである。これによると、「窃盗犯」の意味は、「人間である」「財物を対象に」「窃取した」に分解される。だが学説はこれをさらに詳細に分解し、「人間である」「財物を対象に」「他人の占有にあるものを」「不法領得の意思を持って」「窃取した」とする。だが、学説によっては、「他人の占有にあるものを」のかわりに「他人が本権を有するものを」あるいは「他人が平穏な占有を有するものを」を要求したり、「不法領得の意思を持って」を「権利者排除意思を持って」と「利用処分の意思を持って」に分解したりする。

 チェックリスト意味論によれば、学説の構成要件をめぐる争いとは、窃盗犯だったら窃盗犯を構成する意味の単位(semantic feature)を確定する争いであることになる。

 ほかに、「プロトタイプ意味論」というものがある。これは、たとえば窃盗犯には典型的な窃盗犯と非典型的な窃盗犯がいて、それらは必ずしも意味素性(semantic feature)のようなもので截然と区別されるのではなく、連続的につながっていることもあると考える。これによると、例えば自動車を窃盗してそのまま自分のものにしてしまう者は典型的な窃盗犯である。だが、権利者排除意思には段階があって、数分だけ使用してまた元に戻しておく場合から、数時間乗り回して元に戻しておくもの、数時間乗り回して放置するもの、と、権利者排除意志の強さが連続していることになる。権利者排除意志が強い者が典型的な窃盗犯で、権利者排除意思が弱まるにつれて、非典型的な窃盗犯となり、ある程度以上弱まるともはや窃盗犯ではなくなる。

 法律学は、言語理論から得るところも多いのかもしれない。